『イリアム』(上/下)、『オリュンポス』(上/下)が面白かった!

面白かった! 読んでいたらページを捲る手が止まらなかった! 今も涙が止まらない! だから良い本! つまり、読んでいたら自分が楽しかった、もしくは、こんな変化が自分に起きた、以外のことを述べた上で、だからこれは良いもの! と述べることができないので、amazonの書評はかけないし、伏線がうまく回収できていないので星一つ落として四つ、などの評価を見ると、バラバラに引き裂いてやりたいと思います(手近なや布を)。
私は、物語を楽しむ際に、作者の存在やその人の意図、全体の構造を意識したくないので、伏線であるとか、そうでない、という考え自体を頭に浮かべたくない。イリアムとオリュンポスは物語として読んでいたので、そこで起きたことはそこで起きたことなのであって、なぜわざわざその出来事が物語の一部とされたのか、について考えたくないし、実際、私は訓練の結果としてそういう能力を手に入れました。地の文で矛盾したことが書かれている、のは困ります。合理的に解釈しようとすると、どうしてもこれはある人がパソコンでタイピングした文章なのだ、という方向へ考えが向きがちになるので。実に厄介な事ですが、こうした些細な矛盾に意識をとられてしまう一読者の特性は、有害なもので、どちらかというと特性というより能力の欠如と言った方が近く、物語を楽しむための素質に欠けている、ということなのだから、そういった意識を持ちがちなひと、時系列の矛盾や、辻褄の合わない技術解説が気になって仕方がない人、は、自分が、物語を楽しむための技能を持たない、その点において劣った人間であることを強く意識して欲しいと願っています。もっと自分にあった小説、犯人当てとかを読めば良いのではないでしょうか。