ペルソナ3をやっている

自意識を見事に押さえ込んで日記を書いたら、自然にペルソナ3の二次創作になってしまうのでは? というくらい、熱中してペルソナ3を楽しんでいます。もちろん、そうして書かれた日記は創作物と呼べるようなものではなく、もし自分がペルソナを使って特別課外活動部で大活躍するとしたらどんな具合になるか、を想像しながら書かれることになります。ペルソナ3では、人との繋がりを強め、コミュニティ(コミュ)との絆を深めるほど、強いペルソナ*1を作り出すことが出来るという、島宇宙化する現代の若者に挑戦するようなゲームシステムを採用しています。ペルソナは大アルカナ*2で分類されるので、コミュのタイプは22種類にも及びます。22種ものコミュニティに属する高校生……。高校の女性教諭と恋愛中のクラスメートと親しくなると「魔術師」のペルソナが、塾をさぼって神社に常駐している小学生の女性と仲良くなると「刑死者」のペルソナが強化される、という具合です。どちらも僕の高校時代にはまったくフラグが立たなかった種類のイベントなので、強いペルソナを作ることは望めそうにありません。いままでゲームに登場した中で唯一強化できそうなのは「インターネット」のコミュと関連づけられた「隠者」のアルカナのみです。従って僕は「隠者」のペルソナだけを使用して活躍することになりますが、いままでに登場した「隠者」のペルソナは一反木綿風の幽霊らしきものや、蛇女みたいなものばかりでした。インターネットはあまりやるな、と言うメッセージだと思います。
ところで、ペルソナ3はペルソナ2の物語とは関係ないそうです。ペルソナ、ペルソナ2はプレイしていないのですが、インターネットで得た知識によると全くストーリー的な関連はないと言うことでした。これは、漫画や小説、映画と言った他のジャンルの創作物では考えられない事態です。今、僕は『神聖喜劇』の漫画版を読んでいますが、第三巻では東堂も村上少尉も全く登場せず、いきなり大戦中を舞台にし、同じテーマを扱っているけれども全然別の物語になる、と言うことはありえません。なんか良く知らない詩人の伝記みたいな部分が小説にはありましたがあれはどうなるんでしょうか……。ゲームの、特にRPGでは連番が振られていてもストーリー的な関連がないと言うことが良くあり、と言うかそれの方がメジャーであり、そのせいでファイナルファンタジーX-2とか、よくわからない番号が振られることになる。では同一シリーズのタイトルではなにが共通しているかというと、雰囲気、とか、大雑把に言ったゲームのシステム、であり、ストーリーではない。これはRPGにおいて同一の種類の体験をユーザに期待させるのは、物語の連続性ではなくて、ゲームのシステムやなにかだからだろうか、とか、逆にストーリーが連続していると同じような体験は期待できないだろう(弱いところから一度世界を救ったらまた弱いところに自然には戻れないだろう、という程度の意味です)、だから、成長の概念が希薄なアドベンチャーゲームだったら連続したストーリーのものをリリースできるのだろう、ということを考えましたが、それは置くとして、RPGにおけるタイトルは、他のジャンルではレーベル程度の共通性しかないのではないか、と言うことを考えた。なにか創作物が気に入ったとして、同じようなものを探したいと思った場合、同じタイトル(続編) > (あれば)共通の設定を使用した作品 > 同一のレーベルに所属する作品 とかってのがあるとして、ジャンルによって一般的な探し方が違うのではないか、ということを考えたらいい。3はプロデューサーが違うからゴミ、というのと作画の乱れを指摘するのの違いとか。まぁぼくは興味ないですが……(興味ない表明)。

*1:スタンドみたいなものだとお考えください

*2:大塚先生が物語作成の練習をするときに使用するカード