不愉快な出来事への対応

友達の言動で悲しい思いをした、と子から聞くことがある。心の準備ができていなかったので、日常の対話、応答の延長で対応したが、教育上重要な局面として、ギアを上げて当たるべきなのかもしれない。同様の事態に備えて、Grokに適切な対応を確認したところ、箇条書きで説明してくれた。

  1. すぐに共感して「気持ち」を受け止める
  2. 話をじっくり聞く(事実+感情を整理する)
  3. 「あなたは悪くないよ」と安心させる言葉をかける
  4. 一緒に「次どうするか」を考える(まだアドバイスは控えめに)

1, 2まではできそうな気がする。3はどうだろうか? 「あなたは悪くないよ」と安心させるためには、あなた以外の、なにが悪くってそんな悲しい思いをすることになってしまったのか、あるいは、誰も悪くないのに、このように不運が重なり、結果、悲しいことが起きた、ということを、説明されなければ、安心できないのではないか? そのために、どのように説明すればいいのだろうか? 起きた現象だけに向き合い、余計な推測をしない、という方針もありうるが、一旦、説明を試みるという方向にギアを入れていく。

悪意でやっていると推測する

相手が悪意でやっているのだとしたら、「あなたは悪くないよ」の言葉で、安心できそうだ。相手が悪いのだから。その場合、悪意に対応する方法を4.で考える。

配慮できない、能力がないと推測する

どちらにも悪意はなかったが、相手側にルールを守ったり、配慮したりする能力がなかったので、悲しい思いをすることになってしまった、と説明することもできそうだ。相手に能力がなく、こちらには能力がある、という説明になるのは気になる。できれば、自分だって同じことをする可能性があるよ、ということも伝えていきたい。そうなると、能力を持てなかった理由、環境や、性格についてまで推測して説明するべきだろうか? 環境や、性格が違えば、自分だって同じことをする可能性があった、というように。ただ、相手の、普段の言動等から、推測される内容を共有することが、良いことなのかどうかを判断するためのギアが見つからない。なぜならば、人間にはギアなどついていないからです。そんなことより、反芻思考を避けるため、一緒にテトリスをするべきなのかもしれない。

パピーへのコマンド練習

犬を飼ようになって、通常日本語の単語を使うところで、犬界隈では英単語を使う、というケースがあるのを知った。たとえば、子犬をパピーと呼び、お手、お座り、などを、コマンドと呼ぶ。

なので、最近、うちのパピーにコマンドを教えているわけだが、お手、お座り、伏せなどは割とすぐに出来るようになった。コマンドを教えるためには、餌を使う。ちなみに、餌のことはフードと呼ぶ。フードを手に持ち、コマンドの実行に成功したらすぐに渡す。パピーはフードが大好きなので、コマンドを口にする前に、お座りをする。それでも私がフードを渡さなければ、両前足を叩きつけるように私の手のひらに乗せる。気が向くと伏せもする。本当は、こちらがコマンドを口にしたあとに、フード無しでもそれを実行してほしい。それではじめて、コマンドに成功したと言えるのではないだろうか?

ただ、これをパピーの目線で考えると、お座り、お手、伏せ、が飼い主にフードを出させるためのコマンドであると見なせる。どのコマンドが正解かわからないので、飼い主がフードを手にした瞬間、知り限りのコマンドを入力している。コマンド入力に成功すると、飼い主がフードを手放す。

睡眠の変化と夢について

四年ほど前から、入眠して3〜4時間経つと必ず一度、目が覚めるようになった。最初は一時的なものかと思ったが、昼間にどれだけ疲れていようと目が醒めるし、四年間、生活のリズムや負荷はかなり変化しているのに、睡眠に関しては全く状況に変化がないから、加齢によるものだろうと思っている。4年前に意識するようになって以来、朝まで一度も目が醒めなかったのは一度だけ。加えて、ここ一年ほどは、入眠後6時間程度でまた目覚める。6時間寝て自然に目が醒めたのなら十分だろうと思ってそのまま起床すると、昼間に眠気が来て辛いため、寝床でじっとしていると入眠後7時間あたりでまた目が醒めるので、ここで起床する。

睡眠がこのリズムになってから、非常によく夢を見るようになったというか、夢を覚えているようになった。一回目、三回目の覚醒では夢を見ていない。二回目の、入眠後6時間目辺りでの起床は、夢を見ている状態からなだらかに覚醒状態に移行することが多い。夢の内容はすぐ忘れるが、良く見ることに気づいてからは意識して記憶に残している。非常に多いのは、「大学を卒業できない」パターンで、試験なのに勉強していない、範囲がわからない、会場へたどり着けない、会場についたが誰もいない、一度卒業しているがなぜかもう一度入学しており、今度は卒業できない、など、いろいろなパターンがある。四年下期に必修が一個残っていたので卒業できない可能性があったのは確かだが、人生で一番強いストレスだったかというと全くそんなことはないので、なぜ、度々この夢を見るのかはわからない。これ以外にも、うつ伏せで滑るように飛行する夢や、現実とは異なる地理感覚(凄い立体交差の下を潜って南の方にいくと非常に大きな街がある)などは、複数回、夢で見ているが、これは複数回夢で見ているという感覚の夢、を見ていただけで、実際に複数回見ているわけではないかもしれない。卒業できない夢は絶対に頻出している。

と、ここまで書いてきたが、眠りにつく前に考えていることや、半覚醒状態でのことについては、全然興味が持てないし、入眠前や、起床時に考えていたことを継続して日中に考えることはできない。たとえば、度々目が醒めるのは困るな、と思って起床するのだが、起きて行動していると、それはどうでも良いことのような気がして、というか、忘れてしまい、何ら対処しない。そして、夜、就寝のために横になると、朝の続きを考えよう、となることが多い、気がする。臥せっているときの興味関心と、起床時の意識が分断されており、独立して継続されている感覚がある。起床時は、睡眠周辺の思考には関心がない。逆に、入眠前の思考は日中の行動にも関心があり、ただ関心があるのみではなく、昼間よりも優れた洞察力があるような感覚もあるのだが、その時考えていたことは全て忘れてしまう。というようなことが続いているような気がした時期もあったが、なんとかメモとして残した内容も別におかしくはないが、日中でも考えつくようなことばかりだったので、入眠前は評価する機能が低下しているのだろうと思って、メモを取るのはやめた。と書いておけば、入眠前に内容を検証し、考え直すきっかけになるかもしれないから書いておく。

管理日記

公共の空間に体格の良い男が寝間着姿でいると、警戒してしまう。場における適切さに頓着しないというワイルドの宣言に受け取れるし、予定になかった外出を余儀なくされての不機嫌さも漂う。このマンションの一階は、他の階より一室少なく、あいた一室分のスペースがエレベーターホールに充てられており、それなりに広い空間に、造花のスタンドと、本物の観葉植物がいくつか、アームチェアが二脚と小さく低いテーブルが一台、置いてある。タオル生地の短パン、同じ素材のシャツを着て、椅子に浅く腰掛け、テーブルの上にサンダル履きの足を投げ出した男からは、防犯カメラ越しの不鮮明な映像でも、不機嫌さが伝わってきた。いざとなったらすぐに暴力を行使するぞ、と意気込んでいるようにも見える。

一階の掃除は終わっていたので、しばらくはホールに近づかないが、一時間に一度行う巡回では、エレベーターを使う。15階まで徒歩では登れない。巡回を省略する、という手はある。巡回しなかったことに気付く人間はいない。しかし、管理業務は、省力化しようと思えば無限に可能であり、必要な一定の歯止めとして、一時間に一回の巡回は必ず行うことにしていた。防犯カメラは、エレベーターにも設置されているから、実際に巡回したかは、事後に検証可能である。その防犯カメラの録画を見ているのが自分一人だとしても。

防犯カメラの録画は、自分が管理を引き継いだ時点で半年間停止していたが、誰も気づいていなかった。全高1.5メートルのラックに詰め込まれた機械からは常に大きなファンの騒音がして、上部のブラウン管モニタが通電しなくても、録画システムとしては稼働しているように思えた。暇なときに(ほぼ常に暇なのだが)、管理室内の資料、最終処分をどう行うか決定されていないため、十何年も無駄に蓄積された、毎日ほとんど同じ内容が記された日報、を読み漁って判明したのは、そのラックの録画システムは10年近く前に故障、映像のソースとなるカメラから切り離されており、映像の記録は、もっとシンプルに、ラックの上に置かれた一台の機器と、隣の机にある液晶モニタに引き継がれていたということである。その新しいシステムもなにかのタイミングでフリーズし、映像の記録は半年前で停止していた。電源スイッチで機器を再起動すると、録画は再開された。それから、建物内各所の、不鮮明な映像のリアルタイムでの監視と、10日程遡っての確認ができるようになったし、不要なラック内の機械をすべて停止した二畳の管理室は、以前よりはるかに静かな環境になった。

管理人室を出ると8畳ほどのエントランス、そこから左へ行けば敷地の外へ、集合型インターホンで自動ドアのロックを解除して右へ行けばエレベータホールだが、パネルでロックを解除するさい左の屋外を見ると、外へ向かう通路の先に男が二人しゃがみこんで携帯電話を覗いている。どちらにも見覚えがなく、住人ではなさそうだが、配達や検針を行う服装をしておらず、なぜそこにとどまっているのかわからない。ロックを解除してエレベーターホールへ入ると、防犯カメラの映像どおり、椅子に男が座っていた。カメラには映っていなかった左脚の大きく鮮やかなタトゥーに目を奪われ、挨拶を躊躇する。

住人に会ったら挨拶するルールにはなっているが、広く真っ直ぐな道でお互いを視認した時点ではまだ距離が遠く、一旦、目を伏せて適切な距離まで近づいたら挨拶する、というような理想的ケースばかりではないから、挨拶を実行するにも刹那の判断が必要となる。いつもこちらの顔をしっかり見て大きな声で挨拶してくる青年には同じやり方で機先を制したり、複数人で楽しく会話をしているようなら会釈で済ませたり、視覚より先に、音でこちらが相手に気づいたら、鉢合わせしないようルートを変更したり。そのために、常に足音が小さくなるように移動している。

この場合、椅子に座る相手の背後から近づく形になるが、自動ドアの開く音に反応してこちらに目を向けたら挨拶しようと決めてドアをくぐると、他人の様子、環境の変化に気を配るような惰弱なことはしないと決めているのか、男は俯いた姿勢のまま全く動かなかったので、防犯カメラを意識した会釈だけ一閃してエレベーターに入る。

建物の高さが45mを超えると消防法、建築基準法の区分が変わり満たすべきルールが厳しくなる、それを避けるため、高さが45m弱、最上階が15階、14階となる建物が多いらしい。だから、たぶん最上階は地上40mくらいだと思われるが、建っている場所自体が台地なのもあり、最上階からは平野の終わり、四方を囲む山まで霞んで見える。毎日何度も、外階段を降りて各階を巡回するので、空の様子に詳しくなった。普段よく轟音を耳にする、旅客機より明らかに低く飛ぶ茶色い飛行機は、街の北にある自衛隊基地から発進し、あたりを巡回して戻るプロペラ双発機であることもわかった。映像で見る戦闘機と異なり、地上から肉眼で見上げる飛行機は遅く小さい。あの、のどかに2機編成で飛ぶ飛行機が、本来の役割で活躍する、そんな時代は決してきて欲しくはないものだが……。

エレベーターホールを避け、玄関から遠回りして管理室に戻ると、寝間着姿の男がホールを出て、管理室の対応窓口へ近づいてきた。玄関口でしゃがみ込んでいた男二人も合流している。もし、いきなり殴られても致命的な打撃とならないよう、できるだけ窓から距離をとれる体勢で窓を開ける。

「ここで駐車場借りてんだけど。一週間で3回も4回も故障して、大抵、夜なんだけど、そのたびに朝まで待ってんだけど。鍵が取れなかったり、故障して上に上がってこなかったり。まともに動くところに交換してくれない? あと、故障してるから仕方なく前の空いてる駐車場に停めておいたら、違法駐車だから駐車料金払えって貼り紙はられて。ああいうのも気分悪いからやめて。じゃあ、それでコインパークに停めたら金払ってくれんの?」

機械式駐車場の契約についてはもちろんなんの手続きもできないので、サポートデスクの電話番号を案内して、窓を閉めると、寝間着の男はまたエレベーターホールへ、他の二人は屋外の通路へ戻る。今日も暑く、通路には陽もあたる。全員、エアコンで空気が調整されているホールにいればよいと思うが、何かしら力の勾配があるのか、決まったフォーメーションを崩さないようだ。

一旦、気持ちを落ち着けるために、毎日同じ内容で埋める日報をフリクションボールペンで記入していると、また、窓をコンコンと叩く音がし、別の男が二人立っている。どちらか片方でいいと思うのだが、二人共、警察手帳をこちらに提示している。

住民からなんらかの苦情を寄せられたり、配達などでドアを開けてほしい、といった用事で話しかけられる、というのはだいたい週に一回程度あるが、一日に二回というのは初めてで、相当に珍しい。ただ、警察官がくるのはこの一年で五回目であり、それほど珍しくはない。

片方の警察官(刑事?)は、一ヶ月ほど前に、駐車場の車をレッカー車で運んでいった際にも会った。その後も一度、この建物内のどこかにあるはずの鍵を探して、再度、訪れている。その鍵は、エレベーターホールか、駐車場に落ちているはずであるらしく、落とし物は管理室に届けられるのか? 最近、鍵の落とし物を拾っていないか? ホールにあるゴミ箱はいつ中身を空けているのか? などを確認された。その鍵はなにかの証拠なのかもしれない。それとも、警察でさえ、その物理的な鍵がなければ、開けられない扉があるのだろうか?なんらかの、次なる 進化への扉であるとか。

「今回は立体駐車場の鍵を借りてきたんで、ちょっと駐車場の上げ下げしたりするんでご協力願えますか。このドアが鍵じゃあかないと思うんで、駐車場まで一緒に来てもらっていいですか。あと、この間、うかがった、署に届けられたっていう落とし物は、戻って確認したんですけど、すぐ返却されたのかありませんでした」

よくわからない男たちに前後を包囲された状態で管理室にいるのが苦痛だったので、喜んで付いていく。エレベーターホールを抜けて、駐車場へ行き、レッカーした車が置いてあった場所で、また鍵を探す警官を眺める。

「落ちてるとしたらこっちですかね?」「ここから回って助手席に入ったってことだから、こっち側だよ」「管理人さん、これ中に人が入ったまま下に降ろしても大丈夫ですかね?」と聞かれるが、その昇降式の駐車場を使ったことがないのでわからない。ただ、車が潰れないということは人間が乗っていても潰れることなはないのではないですかね、と答えると、一人が乗り込んだ状態で昇降機を動かし、地下のスペースでも鍵を探す。鍵は見つからない。

次は、エレベーターホールをさがすという。非常に熱心に鍵を探しているが、なぜか、防犯カメラはチェックしていない。録画は10日ほどしか残らないので、もう手遅れだが、車をレッカーした時点で調べていれば間に合ったのではないだろうか? 警察には、別件で録画を提出しているので、カメラについて把握しているはずである。あのマンションにはこのようなカメラがある、こちらのビルには3年分の録画が残されている、そんな情報を県警内で共有するデータベースがあったらとても便利ではないだろうか? どんなに賢い犯罪者も、そのように便利に整備された防犯カメラ群からは逃れられない。時間と場所を指定しただけで、最寄りのカメラで撮影された映像が即座にモニタへ映し出され、容疑者の精神状態までわかりやすいアイコンで表示される。そんな全く新しい捜査の様子を想像するが、決してそのような社会を歓迎しているわけではない……。

エレベーターホールに戻ると、警官二人と寝巻き姿の男が鉢合わせすることになったが、そこでなにか期待してような化学反応は起きなかった。何度も探しているので当然だが、鍵も見つからない。脚立があれば、天井の棚のようになっているところも調べられるのに、脚立ありますか? なければ、今度は脚立をもってきます、と一人の警官はいい、絶対にこの証拠は逃さない、執念と足で鍵を見つけてみせるという決意を新たにしたかのような表情を見せて去っていった。

昼近くになり、管理を終了する準備をしていると、寝間着姿の男と、玄関先に居た男二人が、到着したトラックから荷物をおろし、運び入れ始めた。手配の手際の悪い引っ越しであったということがわかり、これ以上の接点が発生しないよう、急いで立ち去る。

保険について

家の前に灯油を撒かれた状態で入れる火災保険、海賊に接舷されたあとでも加入できる船舶戦争保険、殺害予告を各所に送ってから契約可能な個人賠償責任保険(故意に損害を与えた場合も補償される)。そのような保険が存在したら驚く。保険数理士の計算によれば、加入が断られるはずなのに!

「この状況で入れる保険があるんですか?!」は危機的な状況を表現できるが、その1点以外ではまったく妥当な発言ではないので面白いのではないか。

まず、対処しようとしている危険は、通常保険で対応しようとするタイプのリスクでない。また、保険に加入して損害が金銭的に補償されるとしても、リスク自体を回避できていない。たとえば、死んだ後で補償されても意味がない。しかしこれは、一部に、どうしても生命保険の意味が理解できない人がいるのと同じ種類の問題ではある……。

また、「この状況で入れる保険があるんですか?!」の口調はCMを想起させるが、実際にはそのようなCMは存在しないし、あってもおそらく広告としての機能を果たせない。リスクが高い状況でも加入できる保険は、他に選択肢がない人には魅力的だが、その他の、リスクが低い人には、分が悪い賭けにしか映らない。生命保険に加入するなら、他の契約者がすべて不老不死の保険に入りたい。

このような理由でもって、「この状況で入れる保険があるんですか?!」は面白いのだと思いますが、それもせいぜい2、3回、目にするまでのこと。今となってはただの定型文、教養をひけらかすことにしかならないのだから、もっと面白い文句を見つけたいと思い、保険のCMを検索、視聴した結果、広告が保険ばかりになった。

話題

職場での雑談で話題をコントロールしようと思ったら、自分で切り出すしかない。「焼き肉の食べ放題についてなんですが」。多くの人は焼き肉を食べたことがあるし、自らの手で焼いたことがある人までいる。性別を持つ人も多い。とても参加しやすい話題だ。自分が切り出すのでなければ、話題をコントロールすることは出来ない。映画があまり好きではないので、映画の話になってほしくないな、と思っていても、映画の話になってしまうことはある。「でも、さすがに自分の好きな映画を悪く言われたら、なにか一言、言おうって気持ちになる人もいると思いますよ。もちろん、これはレオンのことですし、私はすべての映画を憎んでいるので本当には彼らの気持を理解できませんが……。」

これがインターネットになると、どの話題に参加しようが自由、コメントしたくなる話題を列挙する専用の画面から好きな話題に参加できる。という状態で沈黙しているわけだから、ただ沈黙していると言うよりは、欲求に抗って沈黙していると見るべきではないだろうか。以前、話題ごとに7つのアカウントを並行して運用している、と聞き、「へぇえ、すごいですね」と答えてしまったが、今だったら、「なるほど、それはいいアイデアですね」と感心するかもしれない。あらかじめ、反応する話題を決めておくことで、いらぬ迷いがへる。アカウントが一個だと、この話題に反応することが自分にとってどういう意味を持つのか、などと考えてしまいかねないが、7つもあれば一側面でしなく、そういうこともなさそうだ。ところで、もし事実が人の意見を変えないのであれば、何かをコメントするということは、実際に何かをしている、と言えるのだろうか? 支出を伴う消費や、投票は何かをしていると言えそうだが、それらと比較して。

スナップショットについて

映画にも小説にも、モノローグというものがあるが、あれは人の内面を正確に描いてないのではないか? 内容ではなく、形式が。だからといって、どう表現すれば正確なのかはよくわからない。言葉で考えているわけではないが、ドラマにおけるモノローグのように文章で考えをまとめることもある。

他人と話しているときに、事前に頭の中で発話してから改めて口にし直すということはしないので、考え > 文章にするステップとしては人と話すときでも、モノローグになるときでも同じようだ。他人に話すように、自分自身に向けて文章にする癖がある人は、ドラマのモノローグもそのようなものとして解釈できるのかもしれない。

ここに至るようなことを数十分は考えているが、対話ではないので文章がぐるぐる回るだけで広がりに乏しい。それでもいくらか、他にも考えたことはあるが、一応の筋道をつけて、関連する考えとして記述する手間が面倒という壁に突き当たっている。モノローグ的に浮かんだ文章が考えが簡略化、直列化されたスナップショットだとして、それを読んだ人が、そこから元の考えを再現する過程自体が面白い、ということがあり得るのではないか? (しかし、実際にそういう意味で面白さをもとめて文章を読むことはない) とか。

読む人にわかりやすく書くという手順は面倒なので省略して、後に自分が考えを再現できるように記述する、というのも、日常生活における写真と同じ程度の意味はあるのではないか? しかし、日常生活における自分の写真を撮り続けるという行為は一般的ではないし、自分もしていない。