描写について

小説なんか全然読まないのに描写がどうのと書いてすいませんでした……。昨日書いたような意味でこれは凄いと思ったのは『神聖喜劇』であれはまったく他に似たようなものを読んだことがない凄い小説で特に一巻を読んでいるときはほんとこれはすごい、やばい、と思いました。ボキャ貧ですいません……。五巻あたりまで読んだころには疲れ果てていましたが……。第一巻のP170〜P233、一瞬、挙手するかどうか悩むところをまた読んでいたのですがあまりにもかっこよすぎたので少し写経します……。P176です。

((……例の足掛け三年前の出来事は、新兵私にとって、必ずしもあの虚無主義者的意識の累々たる襞襞のかなたに、深深と、縁もゆかりもなく、埋もれ果てていないのではなかろうか。……「これを軍隊外の事柄にかりそめに適用すれば、『ほかの答え』は」云云と「あれを現代日本の実情にかりそめに適用すれば、その論理的結果は」云云との奇妙な形式上相似性。前者と後者とにおける思考作用ないし論理操作の異様な同一性。その双方にそれぞれ見出される守勢の中の攻勢ないし対敵意識のいぶかしい相互血縁関係。しかも私が、前者を口外してから、ほとんど即刻即座に直行的に後者を連想した、という事実。してまた当の一日中の私の思考言行(……「午前半ばの光の中で進行しているこの瑣事が、あるいは私の人生の一つの象徴なのではあるまいか。」……「だが、ただ、誰も決してこの口に『忘れました』を言わせることはできはしない。」……「『おれの個性が、消えてなくなってたまるか、消えてなくなりはしないぞ。』」……「その私は、心の一隅に『子曰ク、三軍モ師ヲ奪フベシ、匹夫モ志ヲ奪フベカラザルナリ。』という言葉がうごめくのを意識したが、あの時最後に私の頭に浮かび出たのは、高遠の格言ではなくて、通俗の諺であった。『一寸の虫にも五分の魂』。」

ついでなので、イーガンの『放浪者の軌道』をまた読んだのでこれも少し引用したいと思います。『放浪者の軌道』はとても悲しい話なのですが短いしかっこいいのでぜひ読んでください!!1

---まったくそのとおり。そんなことはどうだってかまうものか。なぜぼくが、ポスト人類やロボットや異星人が百億年後になにをするか、それともしないかを気にしなくちゃいけない? この仰々しいたわごとが、ぼくといったいなんの関係がある?
ようやくマリアの姿が見えた。数ブロック先にいる。ちょうどそのとき、西にある実在主義者のアトラクタの影響力が、宇宙的バロック主義者のアトラクタの周縁から完全にぼくを引き離した。ごくわずか、足を早める。走るには暑かったし、それよりなにより、突然の加速は、予期せぬ哲学的逸脱という特殊な副作用をともなうことがあるからだ。