ピンカー厨です/引用日記

いまだに「心の仕組み(下)」(ISBN:4140019727)を読んでいます。中巻はどうやって物が見えているかについてしつこく解説してあり、ちょっとうんざりしたのですが、下巻は読んでいると心が落ち着きます。宇宙の本を読んでいるときのような気持ちよさなので、寝る前に少しずつ読んだりしています。上巻の内容は忘れました。第七章 家族の価値P117

ベルはヴェブレンのリストに四つめの基準、「人目を引く不作法さ」をつけくわえた。人はたいてい他者の承認に依存している。私たちは上司や教師、親、クライアント、顧客、これから姻戚になる予定の人たちなどから好意をもってもらわねばならず、それには一定の敬意と謙虚さが必要である。攻撃的な非協調性は、自分の立場や能力に、他者の善意を得られなくてものけ者になったり金に困ったりする恐れがないだけの自信があるという宣伝である。

宣伝なんですよ。僕はこれを読むとつい攻撃的な非協調性日記の書き方に思いを馳せてしまうのですが、どう考えても、会社で昼休みにずっと寝ていることとか、新年会に一応行ったものの五分で帰る、などの行動についてもっとよく考えるべきではないか(のけ者にされたら困るし金は無いので)、と思います。同P129

トゥービーとコスミデスは、現代社会であまりにも多くの人が感じている疎外感や孤独感を友情の情動のデザインで説明できるのではないかという推論を進めている。明示的な交換や、順番にする互恵的行動は、友情がなく信頼度も低いときに私たちがとる利他行動である。しかし現代の市場経済では、知らない人間と恩恵を交換する率がこれまでになく高い。それが仲間と深くかかわっていないという感覚や、困難な時期に見捨てられるという認識を生んでいるのかもしれない。そして皮肉なことに、私たちを身体的に安全にしている快適な環境が、情動的な安定を低くしている。だれが真の友であるかを教えてくれる危機が最小限におさえられているからだ。

中高生の頃は運動部でつらい思いをしている人たちを頭がおかしいと思っていたのですが、どうもそのころ辛い経験を仲間と乗り越えた人の方が後々精神的に安定しているのではないか、という昔だったら到底承知できない印象を最近強く持ちだしており、いや、でもそれなら辛い思いをして携帯電話を設計している僕の友人や、電話の交換機について一生懸命考えている他の友人は決してあんな状態にならなかったはずだ……、なにが違うんだろう……。全て印象で物を言っていますが、とにかく、自然な状態や、自然に変化していく方向が良い、みたいなのは違うし、どんどんずれるのでちゃんと考えた方がみんなの幸せのためだと思いますが、みんなの幸せ、というのも不自然な感じであり、僕は自分が楽に生きたいです。
というようなことを書くとまたやや鬱系の日記、などと言われてしまいそうなので言っておきますが、僕はとても元気で安定しています。