デバッグ用のログみたいな文章のほうが面白いということがありえるかどうかについて

日記を書こうとしていろいろ検索したら、速読、自己啓発、聴覚刺激でクオリアの回転が1000倍速くなる界隈のブログばかり引っかかったので死にたくなった……(まだ死にたくないのに……)。←挨拶
『決断者』感想の続きです。『決断者』は<再帰的ヴィジョン>という名の、脳全体を見える化してくれるパッチを手に入れた、たまたま自由意志に特別な興味をもつ男が、考えに対応して変化するヴィジョンを眺めながらなんやかんや考える、というストーリーの小説ですが、こういうことはみんなやってるはず。ただ、普通の人間にはセルフランタイムデバッグ的な機能は実装されてないのでなかなか難しい。難しいが何度もチャレンジはして、失敗している。何度もチャレンジしているのは、頭の中の言葉がそのまま取り出せるようになれば、何の苦労もなく日記を書けるからです。
観察の結果「とりあえずAだなー、あ、でもXXXだ!! だからBだな」と一瞬で考えが変わることがあり、その原因となった(ように感じられる)XXXは言葉で表現されていないこと気付いた。あとから言葉で表現しなおすこともあるし、そのままイメージで運用することもある。実運用上は、わざわざ言語化しない場合が多い気がする。思考の大部分というか全部、は、言語化されてないところで進んでいて、言葉として認識される部分はだめだめで使い物にならない。日記を書く作業の大部分は一瞬で頭に浮かんだことを思い出しながら言葉にしていくような作業が大半で、他の人の日記はよくわからないけど同じようなものじゃないだろうか。昨日から僕が必死に伝えようとしていることについては思いついたとき、昨夜10時過ぎのその瞬間、には、思考から日記に落とすのって超貧弱な外部の永続化ストアに頼るようなもんだなー、そういう意味では言語として実行時に知覚されてる思考の一部分はリアルタイムで途中経過がわかる程度にシリアライズされたログみたいなもんだなー、やべぇ、このイメージは自分的に超画期的過ぎるし納得が行き過ぎると思った。仕事で書いてたログ出力含んだ全体の構成と、ウェルニッケ野、果てしなく続く平原で上空をおっきな文字が飛び交ってるイメージ、に流れ込むほかのモジュールからの言葉がぴたりと重なって、なにかが発光するような感じと共に、カッと目を見開いた男、死を告げる黒い鳥のイメージ、などが鮮明に浮かんだのですが、このアハ体験が日記によって伝わったかというとたぶんこれを読んでいる僕以外のあなたには伝わっていないので、どうなの、という話です。それとも伝わっているでしょうか?
誤解の無いようにいっておくと、興味があるのは伝わりやすい文章の書き方、ではないです。なぜなら、今までも伝わりやすい文章を書く技術というのは研究されていてなんか良く知らないけどいろいろあるはずで、最大多数の人に効率的に伝える文章は研究されつくした上にまったくの不得意だということが明らかになっており、せめて読んで楽しくなくても書いて楽しい文章、フローを記録する、ダンプに落とす、もしくは逆に不完全な情報から流れをたどる、もう一度マッピングする、という過程自体が楽しい、ということがあるんではないかなぁ、と思っていて、ログ出力のフォーマットが似てるんでパースしやすい、とか、そういうことですが具体的にどうやるのかはまったくわからないし意味のあること、実現可能なことかどうかもわからないが何かを最後に書かなければ日記は終われないので、そういうことを考えたい。小説の心理描写に不満があるのですが、小説家はそんなことばっかり考えているはずなのに画期的なものが発明されていない、もしくはされてるけど僕でもその発明について知るくらいには一般化していない、ということなのかどうか。なにか知っていることがあれば教えてください。