私の道徳心について

子どもの道徳心を検査し、偏差値や5段階評価を示す業者テストが全国の小中学校で実施されている。テスト結果を受けて教師に渡される各児童・生徒の個人診断票には「重点指導項目」として「愛国心」「郷土愛」などが記される。今年3月に文部科学省が公表した改訂学習指導要領には道徳教育の目標に「我が国と郷土を愛し」という文言が加わったが、道徳の数値評価は「行わない」とされている。それだけに、保護者からは「先生がテスト結果をうのみにして生徒を色眼で見るようになってしまうのではないか」などと不安視する声も上がっている。

子どもの道徳心を偏差値化 各地の小中学校でテスト

僕がこのテストを受けて、結果、偏差値が30だったとしたら、俺は道徳偏差値が低い、道徳苦手人間なのか……、とがっかりするのではなく、ひゃっほー俺はこんなに道徳心愛国心に欠けているぜ!! と喜ぶ。なぜなら、道徳が好きではないからです。道徳心が強い人が受ければ、高い数字が出るので、道徳心が高い人は道徳心が強い自分を喜ぶはずであり、誰が受けても嬉しい結果が出る稀有なテストなのだから素晴らしい。全国規模で実施すれば良いのに……。
とおもい、この記事のブックマークコメントを見ると、非常な不評であり、まさに道徳偏差値が低そうな感じになっていました。しかし、正直このコメント群を見てもなんでこんなに不評なのかは全くわかりません。つまり、どういう立場だと、このテストに対して怒りをもてるのかがよくわからない。たとえば、「道徳心が数値化できるわけない」という意見は、国語にも算数にも社会にも音楽にも保体にも当てはまる話ですが、俺の保体力を数値化するなんてゆるせん……、という意見が道徳偏差値に対するのと同じテンションで語られてはいないようです。もしかしたら、語られているのかもしれませんが、その場合は、全面的反見える化主義者の方だとおもいますので、筋が通っておられると思います……。
そもそも、道徳が授業として設置され、学校教育の一部になっていることがむかつく、そんなものをお前に教えられる謂れはない、という立場の僕からすると、道徳が数値化不能の何か素晴らしいもの、と特別視されるほうが嫌な話で、どうせなら他の科目と同じ、どうでもいい数値、になってくれるほうがまだ良い。道徳の時間なんて、テレビみれるボーナスタイムでしかなかったし。このテストが嫌な方は、道徳はもちろん教え込むべきだが、数値化して教導の指標としてはいけない、ということなのか、そもそも学校で教え込むべきではない(ので、より強く学校教育に組み込まれそうなテスト化は良くない)ということなのかどっちなんだろうか。それとも、もっと実際的な事なのかなぁ。たとえば、道徳偏差値の低い子をもった親がなにかしやしないかと心配、だとか、道徳偏差値の低い子がいじめられないか心配、とか。
やっぱ、国語や音楽の評価には一定の基準が設けられるが、道徳の評価にそれはない、ということなのか。道徳が授業中に教えられるものであれば、道徳的に正解となる行動があるはずで、それを判断出来ること == 道徳の能力が高い、という判定基準なら成立するはず。ただ、その児童が実際に道徳的判断が必要とされる場面で正解を選択するかどうかは、正解を判断する能力とは直接関係が無い(道徳的に正しくないとわかった上で行為を選択することがありえる。普通の言葉遣いで考えると、道徳的な良否を判断できなかった結果、非道徳な行為を選択するより、さらに道徳心が弱いと評価される)ので、そこのギャップが問題なのかな。つまり、道徳心のテストで評価できそうなのは、"道徳的な価値判断の能力"だが、"道徳心の偏差値が高い"という評価から想像されるのは、"道徳的な価値判断に従いがちな人"であり、そのギャップが問題、って事なのかな。テストの内容みてないからどんなものだかわからないし、芸術系の教科だって同じ批判にさらされそうなものだけど。