一ト月間日記書かないと市民権が剥奪される……

一ト月間日記書かないとはてなダイアリー市民権が剥奪されるって知ってたでしょうか? 僕は知ってたけど自分の身に起きるまでは忘れていました……。ところで、今日、「日本語が亡びるとき」(ISBN:9784480814968)という本を読みました。タイトルはショッキングです。亡びないでっ!! ってかんじ。冒頭は小説家でもあるらしい著者が世界の文学者・詩人と交流せねばならない一ト月(なぜか変換できない……)を過ごし、そこでこんなこと考えたよ!! って感じで始まって、それから書き言葉の歴史やなんか、日本の事情、と続いて、最後に教育への提言!! と続きます。中盤の三章から六章、歴史について書かれた部分は面白い。しかし僕にはどうして日本語、日本文学が、他の同じように亡びの危機に瀕している言語、文学よりも守らなきゃいけないものなのかはよく分からなかった。そこら辺は、著者の方も認識されているようで、誰もが読むべき本としてこれを書いているわけではないようです。一章の最後にこうある。ちょっと長すぎるかとおもい、少し中略してあります。不適切な引用になっていたらすいません……

もちろん、今、日本で広く読まれている文学を評価する人は、日本にも外国にもたくさんいるであろう。私が、日本文学の現状に、幼稚な光景を見いだしたりするのが、わからない人、そんなことを言い出すこと自体に不快を覚える人もたくさんいるであろう。実際、そういう人の方が多いのかもしれない。
(中略)
この本は、この先の日本文学そして日本語の運命を、孤独の中でひっそりと憂える人たちに向けて書かれている。そして、究極的には、今、日本語で何が書かれているかなどはどうでもよい、少なくとも日本文学が「文学」という名に値したころの日本語さえもっと読まれていたらと、絶望と諦念が錯綜するなかで、ため息まじりに思っている人たちに向けて書かれているのである。

不思議なのは、そういうスタンスで書いているのに、最終章では、日本人はどうすべきか、という観点で学校での国語・英語教育に触れており、というか触れておりというレベルではなく、普通の読み方で頭から読むとこの主張をするために今までの文章があるの?? と思います。学校教育について、絶望と諦念が錯綜するなかにいる人に対して語っても意味がないのでは……。もちろん、意味がないことはない、有効性が低そうな感じがする、ということですが……。
個人的には、今以降の時代に生まれるのなら、英語を国語とする国に生まれたいし、それを原則として、自分がどのような条件で生まれても失敗した感を最小化したいなら、英語以外の言葉がすべて亡ぶのがベスト(まぁそういうありえない仮定の上なら、別に英語じゃなくてもよく、普遍語しかない、という状態がベスト)。すべての民族が<自分たちの言葉>を護るべきだとは、思わない、といいながら、日本人は日本語と日本文学を護るべき、だとする主張に同感できないと、最終章はいらいらします。ただ、中盤は面白かったです。