本を読んでも読めてないことについて(2)

アイロニーに興味があるのは、自分がアイロニーを使いすぎ、であり、そのことについてよく考えたほうがいいだろうか? と思うからです。たとえば、アルファブロガーにまったく興味が無いにも関わらず、アルファブロガーに憧れるあまり勝手に仲間を考えてしまった振りをしたりとか、し過ぎで(あり、かつまたこれはブックマーク乞食とでも言うべき行為です)すから、もっとまともに生きたほうがいいんじゃないだろうか。僕にも逃れがたい道徳心が備わっていて、こんな風に、アイロニーばかりで真剣な意見のぶつかり合いから軽やかに逃避し続けては駄目なのではないだろうか? と時々思います。その証拠に、はてなを初めて二年が経ちましたが、4、5ヶ月に一度のペースでしか真剣な意見を交換していません。
もっと本当に好きなものについて語ったりした方がいいんじゃないか。好きなものについて書かないのは、単にそれほど好きなものについて語る欲求を持っていないからでもありますが、好きなものを明らかにしてからでないと、作品を酷評してはいけない、という最近確立された暗黙のルールに抗議するためでもあります。僕は自分の好きな作品をそのような酷評に対する担保として提出したくありません≪被害者意識の発露≫ 。そんなことするくらいなら、酷評なんて一切するものか! です。
かくして、酷評を避ける選択を行った僕に残された手段はアイロニーだけであり、なにを見ても「かっこいー」あるいは「面白い」としか言わず、それがアイロニーとして親しい友人にだけでも通じるかというと通じておらず、本当はなにが好きなのかさっぱりわからない、といわれてしまう状態です。このような価値判断(の表明)の放棄と、アイロニーと、半疑問形、語尾上げについて考えていると気分がもやもやします。本当はもっと整理して書きたいのですが、整理して書くとすでに散々色々な人に言われていることだと言うことがばれてしまうのでこのような形になりました。
とにかく、オモシロ日記を書きたいという衝動を掲げて(面白funny日記(志向)を担保として)、公然と誠実さを放棄する姿勢に関して、何とも思っていないわけではない、ということです。
もう一つ気になっているのは、自分がアイロニーとして書いているつもりのことはどれくらいアイロニーとして受け取られているのか、についてです。というのは、完全にウォッチャー気分でとあるサイトを「格好いい!!」とはてなブックマークしたら、その後、他の人が「参考にしたい」「同感」とコメント付きでブックマークしており、自分だけがひどく性格の悪い人間のように感じられ、へこんだからです。もうそういうことは二度としません。アイロニーとか最悪。