ばあちゃんと電話について

[A]若い兄ちゃんが携帯をいじっていた。
隣にばあちゃんがいて、ばあちゃんは「医療機器使ってるから電源切ってください」と言った。
その男は「来たメールを読んでるだけだから」と言って、いじるのを止めない。
隣のリーマンが
「今は読んでるだけでも読んでるうちにメールが来るかもしれないだろ。切りなさい」
と言った。
兄ちゃん、怒り狂った口調で「ああ?!!」
逆切れだ!リーマンやばいぞ!(兄ちゃんはかなりいいガタイ)
見てる人が皆そう思ったとき、兄ちゃんは携帯をリーマンに突きつけながら言った。
「見ろよ!俺に来た最後のメールは4ヶ月前だ! それ以来誰も送ってこないんだよ! 今更誰が送って来るんだよ!!! 俺から送る相手もいないんだよ!!!」
[B]みんな黙り込んだ。しかしその中に一人だけ、無愛想な顔をして彼に近付く若い女がいた。
彼女は男から携帯を奪い取ると何か操作をして、再度男に突き返した。
男が呆然としていると、女は自分の携帯をいじり始めた。
しばらくして、男の携帯が鳴った。
男は目を見開いてぱちぱちさせながら携帯を見た。
もうね、多分みんな心の中で泣いてた。男も泣いてた。
世界は愛によって回っているんだと実感した。
[C]ばあちゃんは死んだ。

このコピペは面白すぎる。自分の実力を顧みずに大それた事を言うと、毎日こういう日記が書ける人間になりたい。
http://blog.livedoor.jp/ayacnews/archives/50387463.html
これをみると、コピペの元となった2chの書き込みには優しいお姉さんが登場するシーン([B]以降)は存在しておらず、あとから付け足されたみたい。たしかに、Bパートからあからさまに書き方が変わっていて、三人称のちがいとかひどい。最後の一行がなくても文章として完結するので、もしかしたら、ここもあとから付け足されたのかもしれない。
文章が上手いとか下手とか言えるような知識はもってないですが、違和を感じる部分がいくつかあって、上手い文章だとは言えない気がする。たとえば、「世界は愛によって回っているんだと実感した」という文章からは書き手がその場に居合わせたことがわかるけど、「見てる人が皆そう思ったとき」なんて書き方は神の視点だし、「男は目を見開いてぱちぱちさせながら携帯を見た」は紋切り型の表現を使おうとして間違ってる(「見開きながら」「ぱちぱちする」ことは出来ないから、どちらかのみが正しいのではないか)。
↑ここまで書いてから、いわゆるコピペ文章にはどんな特徴があるか、について考えたけどまとまらなかったので箇条書きにします。

  • 体験を記述している場合
    • 視点は個人だけど、日記ではないので書き手に特有の情報は含まれない
    • 話し言葉や、日記として書く文章には通常使わない、小説っぽい言い回しを含む
      • その方が記述力が高い、読む側としても、個人視点で状況を把握するにはそれが一番楽だから?

コピペの元になる文章は2chレスであることが多く、それはたぶん最初から余分な情報を全く含んでいない分、読みやすいからではないか。このような事件に実際遭遇したとして、ここまでシンプルに一切を日記として記述出来る人はいないと思う。なにせ、目の前で人が一人死んでいるわけだし……。日記ではなく、2chへの書き込みをするのであればこのコピペからそんなに離れた書き方にはならないのではないかと思う。
ただ、このコピペの面白さはCの部分にかかっており、ここがなかったら全く面白くない。コピペ文体は読みやすいけどそれで日記を書いたら面白くなるわけではない(でもやってみる価値はあるかもしれない)。ここでばあちゃんが死んでしまうのはおかしい。ばあちゃんが死んでいるなら最初からそれが主題になるような書き方がされるはずで、あってもなくても良いような最後の一行で説明されるべきではない。たしかに、ばあちゃんは自分で「医療機器使ってるから電源切ってください」と最初に宣言しているわけだから、ミステリーとしてアンフェアなわけではなく、死んでしまっても文句は言えないけど……。個人的にはこのコピペから面白さについて何らかの気付きを得ることは出来ませんでしたが、とにかく意表をつかれることが面白さの要素であるなら大抵の場合は意表をつかないでおいて、ときどき意表をつく必要があるわけだからとにかく日記は毎日意表をつかないように書いた方が良いのかもしれない、と思いました。そして、なにか特別に感動的に捉えられるような出来事(しかし、また別の要素を加えると一転して恐ろしくもあるような)に遭遇したら意表をつくような日記を書く……。