日記について

とにかく、今年の目標は100回超日記を書く、ということだからペース配分としては、そろそろ書かないとまずいわけで、日記を書きたいと思いますが、別に書きたいこととかないなー、となる。さっきから考えていたのは、おそらく、大半の、日記作成モジュールは対人関係用のモジュールを若干カスタマイズして流用という感じであろうから、日記に書くことがなくなっていく、書き方を変えて気分転換してみる、というのは人間関係でいうとどういうことなのか、よくわからん、ということだけど、それはまぁ別に自明だし書くことないか、という気もして……。
つまり、語りかける、とか、伝えるとか、そういうのは安定してるだろうけどそういうのがしたいわけではない、ということだなー、ちゃんと説明すると恥ずかしいので書きませんが。たとえばここで終わる、という手もあり、それでも100回繰り返せば目標自体は達成できる……。思いついたので書いた、書き方は思いついた内容による、というスタンス以外取れない、ということは割とはっきりしてきたのでもうやめようと思う。さようなら。
さようなら、ではありませんでした。今、ちょっと別のことしてた。やっぱ、どう考えてもtwitterの方が楽だしそのうちみんなマイクロブログへ行って戻ってこなくなるよ、なぜなら文章書くとか普通しないし。多分、まとまった文章、というのは、即座に反応が得られない特殊なケースで利用されるものであって自然にするようなことじゃないんだよ、だから、もう日記は終わりだ、さようなら……。
さようなら、ではありませんでした。気を取り直して日記の良さについて考える。つい二回ほど前の日記でも同じことを書いていたので、余程日記の将来が心配なんだな、と思う。ブログがなくなるのとかはどうでもいいんだけど、日記がなくなるのは困る、と、世界全体の心配をしているようだが、そうではなく、自分が日記を書くという趣味を趣味とできなくなったらやだなぁ、という話なんだけど。やりたくないことをやらないのはとても良いことなので構わないのでは? と思うかもしれないが、日記自体は書きたいけど書くことがない、という状態なのだから、峠を走るのが趣味だったけどガソリンが高くて走れない、さすがに徒歩では……、という理解の方が適切。ガソリンが高いと困るでしょう。そんな状態なわけで、想い出を消費して日記を書いていた場合、想い出が尽きると日記が書けなくなるので、いきおい、想い出作りへ走ることになる。想い出作りは、たいていうまくいかなくて気まずい思いをする。想い出作りとか意味がわからないし、想い出消費な日記もそれほど書いていなかった。想い出というよりは怒りをその原動力としていた!! スタンスはあこがれの人から盗め!! という意味でいうと安定して日記を書き続ける憧れ日記書きというのもそうはいないので、やはり嘘を書けるようになるのが一番だな。見てきたようなやつ。誰にアピってんの、というところから抜け出せる。固有名詞も書かない。それでも、どの辺のイメージを借りてくるか、というのに立ち位置が表れる、ということを考え出すとなにも書けない……、というのは嘘でそこら辺はあまり意識しない。そういうのに利用できる語彙がない、というのが正確かもしれない。さようなら……。まぁ、自意識語りも随分前に流行終わった、辺りで回収していくとなると、淡々と呟いているふりをしながらやり過ごすみたいなのが良い手かも知れませんぞ、という目で、淡々と日記を書いている人を見つめていきたい。