アル・ゴア(アメリカ元副大統領)

アメリカ元副大統領ではなく、元アメリカ副大統領ではないかと思うのだが本屋で大量に平積みしてある大型本には一冊残らず正確に、アメリカ元副大統領と表記してある。元副大統領だけで通したかったんだけど、それだとどこの元副大統領なのか判断出来ず(特に、副大統領職が存在する国の)市民が混乱するといけないので、念のため頭にアメリカを足しました、という感じ。逆に、元アメリカ副大統領だと、「アメリカ副大統領」ではじめて一つの役職を正確に指し示せました感があるのでアメリカ合衆国以外への配慮が伺える。アメリカ元副大統領という表記はとてもアメリカ目線だ。そしてアル・ゴア不都合な真実を告発するため、スライド講演を開きながら今日も各地を飛び回っているという……。地球環境のために全米が泣いたのかどうか分かりませんが、地球環境について真剣に考えるのはとても難しい。自分がいずれ確実に死んでしまうことのほうがよほど不都合な真実であるとも思いますが、地球環境について真剣に考えるのは死なない方法について考えるのと同じくらい難しい。死なない方法についてはとても興味をもっているのだが考える材料に乏しいので、考えを持続させることが出来ない。本来はもっと死なない方法について考える必要があったはずなのに、死なない方法についてよく考えなくても滅多なことでは死なないし、死なない方法を考えても死ににくさがあまり変わらないので、死なない方法へ向かうはずの意欲が空回りしている状態だ。その意欲をなんとかすれば地球環境について真剣に考えることが出来るかもしれないが……。
まず、「地球環境(宇宙船地球号)が心配だ」というレベルがあって、アル・ゴア(アメリカ元副大統領)はこの境地に達しているとする(本当にそうなのかは知りません)。これは、本当に地球が心配で夜寝れなくなったり、胃が痛くなったりするレベル。朝、起きたら枕が濡れていたりもするかも。次に「地球環境について心配しなければならない(心配したい)」という意志を持つレベルというのが考えられる。なにかについて心配するかどうかは自分で決められないけど、心配になろうとする努力はありえる。つまり、悲惨な状態(北極の氷が減った結果、シロクマが氷を見つけられなくて大変な苦労をする、など)を知ることで、より地球環境が心配になるであろうということは容易に想像出来るので、地球環境について勉強すればする程心配になるだろう、という予想の元に悲惨な事例を集めたりすることが出来る。長期的な展望の元に行動出来る人は心配さや大事さなどの任意には操作出来ない変項をあやつるテクニックに長けているので、地球環境を心配することだって簡単にできる。でもそのためには、地球について今は心配な気分じゃないけど、地球が心配になりたい、という状態にならなければならない。僕はこのレベルにも達しておらず、なぜかというと心配事は少ない方が良いからです。となると、まずは地球が心配になりたい、という意志を持つための方法から考えないと、地球環境について真剣に考えることは出来ない、ということになりそうです。ここで必要とされるのは本質的に地球環境とは全く無関係な誘因ではないか……。