宇宙について

パラレルワールド」(ISBN:4140810866)を読みました。これは非常に楽しく宇宙について学べる本でした。
話のスケールが極小あるいは極大であり久しぶりに宇宙論セラピーを堪能した。P131

2. 10-43秒 ---- GUTの時期

対称性の破れが起きると、泡が急速に膨張する。膨張するにつれ、四つの基本的な力がすばやく分離する。最初に重力が、ほかの三つから引き離されて、宇宙全体に衝撃波を放つ。もとの超力の対称性は破れてもう少し規模の小さな対称性になり、それはGUTのSU(5)対称性ではないかと思われる。残りの強い相互作用弱い相互作用と電磁相互作用は、まだGUTの対称性で統合されている。この時期に宇宙は、よくわからない理由により、1050とも言われる途方もない倍率でインフレーションを起こし、空間は光速より圧倒的に速く膨張した。温度は1032度だった。

単位が完全に想像不能なもので占められており、なんとか頑張って読んでいくと"よくわからない理由"というのが出てきて爆笑、みたいな感じです。この辺を読んでわかったのは超力という対称性がすごい力があったのにそれが特定の崩れ方をしてこの宇宙の物理法則が出来たのだなぁ、ということです。なので、この宇宙の物理法則だけ見れば対称性がないかもしれない、というような。あと、よく見かける11次元というのは適当に大きい数字(12次元や10次元だときりが良すぎるから11しとく? みたいなノリで)を言っているだけかと思っていたがそうではないことがわかったので安心した。
非常に面白かったので思ったことを順次並べていく。まず、物理法則が真実であるにもかかわらず僕の直感と全く一致しないのは仕方のないことであり、それが真実なら美しく理解できるはずだ、という思いこみにはなにも根拠がない。というのは人間の情報処理系は日常遭遇する範囲の温度やら物質やらを処理するのに最適化されているからで、その範囲を超える(宇宙の大半の部分)には全く適用できないので直感に反するし、場合によっては全く処理できないのが当然なのだなぁ、ということ。比喩によっても理解できているわけではない。これはこう書いてみるともの凄く当たり前のことだ……。あと、この本にも量子論によって人間の自由意志が救われた(と思った人もいる)的な記述がある(P181とか)んだけど、これは意味がある考え方なのか、というか、それほどそう考える人がでるような魅力的なものなのかなぁ、という話をまた考えようと思った。機械的決定論量子論的な世界は確かに異なるけど、その差は自由意志の話にすんなり繋がるかというとまぁ全然繋がらない、ちょっと考えると繋がらなくなる、とおもうんだけど(つまり、僕が想像する自由意志は決定論的な世界であろうと、神がさいころを振るタイプの世界であろうと関係なく成立したりしなかったりするのではないだろうか、という感じがする、ということです。ここはもの凄く適当に書いた)
実際の所一番面白かったのは、第12章 マルチバースを越えて、で、この本に登場するような物理学者や宇宙論の研究者なんかがが宇宙とか生命の意味をどう考えているか、について書いてあるとこだった。つまり、まぁ順当に行くと人間は全て死ぬ、どころではなく宇宙は確実にいつか熱的な死を迎えるので、ありとあらゆる知性がいずれこの宇宙からは消えるのだがそれをどう捉えるのかって話。僕は何とも思わないですが、そういう考え方を許容できない、なにか意味があるはずだ、という考え方をする人がやっぱりいる、というかそっちの方が多い、ということを聞き。そのように考えるのは結局知識に寄るのではなく気質なのではないか、その人が世界に対してどういう知識を持っていようと、意味が必要だと感じるのならどっかから見つけるし。宗教的な意味を完璧に裏付けされて"知っている"ような育ち方をしても、そんなことにはやはり意味がない、と感じる気質の人は、意味がないと感じるのではないか。ということを思いました。つまり、全て遺伝か生き残るために最適化された処理系の限界、として諦めねばならん、という話です。機械的決定論を完全に正しいと思っている人だって即生きるために努力する意志を全て失うわけではない、というところを見るにつけ、考えが意識に及ぼす影響の低さを考えるとやってられん、という気分になります。