あなたの脳年齢は150歳ですって言ったらあの娘どんな顔するだろう

どういう意味かしら、と困ったような顔をするのではないか。脳の物理的年齢は彼女の年齢と同じはずなので、これはもちろん、彼女は150歳ではないが、脳は平均的な150歳の脳と同じありようをしている、という意味のレトリックです(彼女が150歳だったら、それはそのままの意味です)。平均的な150歳の脳のありようが掴みきれないため、意味を読み取るのは難しいですが、平均的な脳はそもそも150年存在し続けることが出来ないことを考えると、彼女の脳が奇跡的である、ということは言えそうです。奇跡的であることが平均的である、という矛盾に彼女は困惑する、ので困ったような顔をする。ところで、「知能年齢÷生活年齢×100」という古い意味でのIQを利用して考えると、彼女が十五歳であった場合(十五歳なのは私の趣味ではなく計算が楽だからです)IQが実に1000程度あるということなります。IQが1000!! IQが1000あったら見える世界が違うだろうなぁ、という感じがします。実際には、それが150歳の脳を持つ15歳だとしても、IQが1000という言い方になるとぜんぜん違う感じがする、違う感じがします。丁寧に言い直した。実際には、それが150歳の脳を持つ15歳だとしても、だ、これはIQ100と110の違いを89倍して110に足した感じがするから、で、脳年齢はいらないけど、IQは欲しい、出来るだけたくさん欲しい、八億くらい余分にあったらいいと思う。なぜ数値化されそうなあらゆる物の中でIQが一番欲しいかというと、それが手に入らないから、というのもありますが、お金をたくさん持っている人や、美を鑑賞するのに優れた特性を持っている人や、生きてるだけで幸せな人や、他人に賞賛されがちな人の嬉しさは想像可能ですが、IQが高い人からみえる世界はもっとすっきりしていて納得できるものだったり、あるいはもっとなんかすごかったり想像不能な感じがするからでありIQが欲しすぎる。欲しい。ネット風じゃなく言い直した。私も、学校の授業が退屈だという理由で不登校になったりしたかった(家でブリタニカを通読し、リルケを暗誦します)。美に対する感覚が優れており(というかある意味鈍く)空の青さを見るだけで感動、というような人も羨ましいですが、たとえば町を歩いているとBerryz工房の皆さんを頻繁に幻視する、ファーストフード店に入ると熊井さんが手を振っている、という事態を想像をすれば、その世界は半分体験可能なので、それほど羨ましくないです。