死ねばいいのに、と思ったら、死ねばいいのに、と言いたいものだ

もっと積極的に、死ね!! と思うかも知れないしそうしたら、氏ね!! と書くかも知れない。書きたい。死ね!! と書かないのは禁止ワードに引っかかって自動で削除されるのを防ぐ、古参ネットワーカーの(無駄な)知恵です。とても可憐な生き物を悪虐な手口で次々と惨殺し証拠写真と一緒に気持ち悪いポエムを掲げるタイプのブログを見たとして、僕が翼を持っていれば飛んでいってその行為を止めさせるだろうけど、残念ながら持っていないので、即座にブックマークして「しねばいいのに」と書くと思う。書きたい。直接行為を止めさせられないまでも、はてなブックマークの暴力的な圧力を利用してブログをつぶしてやりたいと思う。そのまま閉鎖にでもなったら皆で一斉に快哉のエントリーを上げ、世界中のはてなアンテナを埋め尽くすだろう。やってやったぜ!!
「しねばいいのに」自体は、常に嘘ではない事があり得る種類の言葉で(どんな人に対してでも、死ねばいいのに、と思う人がいることは想像できる)あり、「しねばいいのに」の及ぼした影響が、「しねばいいのに」と口にした人の想定の範囲内にあったのなら、胸を張って「しねばいいのに、と思ったからそう言った」か、もしくは「しねばいいのにとは思ってないけど、しねばいいのに、と口にした方が私にとっての状況が良くなるから、しねばいいのに、と言った」と言えるはずで、これが誤用の確信犯という奴です。誤用確信犯にはモラルを説いたって無駄であり、実際には、それはモラルを説くと言うよりも、このルールがまもれないなら、(私たちは)まともに相手をしませんよ、というような宣言です。そういう宣言合戦がどこでも常時行われているので、常にエントリを上げていかないといつの間にかいろんなマナーが出来上がっているので気をつけたい。ひどい、と思ったのは、「しねばいいのに」が言論の自由の侵害だ、と言う説です。「しねばいいのに」で言論の自由が侵害されるなんて言い草が通用するなら、他人に影響を与えるような言動は全て言論の自由の侵害です。影響されてしまって本当の自分の思ったとおりの、自然状態の私が出せなくなるからです。まさか。「しねばいいのに」が酷いとしたらそれを言われた(僕から見てそんな思いをするべきでない)人が、悲しい思いをしているからで、言論の自由とは関係ないし、なにかの言動を無理矢理確立された価値に結びつけて勝ち誇ってる人は死ねばいいのに、とは思いませんが、帰りにサドルが盗まれているなどのなにかちょっとした不幸にあえばいい、と思います。日和りました。