なぜ人は生命保険に入れるのか問題

K2Da2007-01-15

自分が死んでしまったらあらゆる意味で終わってるので、死後にしか良いことがない掛け捨て生命保険に加入するのは不合理ではないか?

どう検討しても生命保険には入るべきでない、ありえない選択肢なのですが、直観的には入るべき、入っても頭がおかしいわけではない、とも思うので僕の考えと直観はどこかで食い違っており、その辺について考える。
(現実的には、生命保険は自分で受け取るわけでなく別の人が受け取るのであって、通常は生前誰かに加入したことを伝えるわけであり、それなら加入は利己的な意味を持ちうる。なので正確には、「誰にも言わない生命保険加入は変」、または、「(嘘をつくことのコストが0の場合に)生命保険に入った、という嘘をつくだけに飽きたらず、うっかり実際に加入してしまうのはおかしい(合理的でない)問題」としたい。嘘をつくことのコストを高めに見積もると大抵の行いは善いとされるように為すのが合理的、ということになってしまいとても詰まらないので、嘘のコストはなるべく低く見積もる習慣を持ち、実際に低くしたい)
素朴に利己主義について考えると、何かをして → 自分に利益が返ってくる、という関係が成立するように行動するはずで、でも死後に利益がかえってくることは絶対にない。生命保険加入が合理的であるためには、どこかで利益が時間を遡行しなければならないのではないか。時を駆けているのではないか。もしくはそのように勘違いしている。
生命保険に入るための流れ。

(1)自分の死後について想像する → (2)妻子が生活に苦しんでおり悲しい → (3)生命保険に入るという仮定を行う → (4)想像上の妻子が裕福に生活しており楽しい → (5)生命保険に加入

この流れのどこかに非合理なステップが潜んでいるわけですが。
とりあえず、このあとは考えがまとまらなかったので併記します。いつもですが……。

計算出来た時点で利益確定説

普通に考えるとこうなるというか、そもそも自分が将来の時点で生きているかどうかというのは関係ない、そこになんの違いがあるか分からない、利益は死んだあとに妻子が裕福になるという情報であって、仮に計算が継続されればいずれ実行されるというだけで十分、それが実際に実行されるかどうかは価値と関係ない(つまり開闢点である<私>がいない場合は実行されないと考えるとしても意味がある、もしくは居なくても普通に世界はあるし問題ない)、という感じで、これはまぁ誰も見ていない木が倒れて云々だし、<私>がいない世界についてもいる場合と同じように考えるのはあまり好きじゃない、現実と空想の区別がついていない、と非難したいのでこれ以上は考えない。これで終わりならそれでもいい。

あくまでどこかに非合理がある説

まず死後について真剣に考えるのがおかしい、考えて感情が動くのは動くだろうけど、それは架空の世界について考えているのと一緒で、実際にはないわけだし、小説のラストが悲しかったからといって作者に金を渡して書き直させたりしないし、生命保険に加入するのはそういうのと一緒だ。現実と微妙に違う世界というのはいくらでも想像可能だけど、そこには<私>がいないという点でのみこの世界と完全に異なっていて、死後の世界にも<私>はいないので、それに対して何か働きかけようというのは頭がおかしい、とか考えるととても生きにくくなるので、その辺に対処した僕の世界モデルを書いておくと(セカイ系)、

(僕 (意識 ←→ 価値評価器)) ←→ その他色々...

なんかスピリチュアルな感じになってきた……。要するに価値評価については僕の自由にならないわけだから、そこについての責任は放棄してしまい、自分の責任だと考えない。出来ればJazzとハロプロが好きな人になりたいと思っているけどJazzは好きになれない。それは僕の責任ではない。僕が合理的に最大化しなければいけないのは、価値評価器から返ってくる値であって、その値は直接には「その他色々...」とリンクしない。だから、その他色々...に及ぼそうとする影響が合理的でなくても、僕の意識としては筋が通っており合理的であり得る。評価器はほとんど自由にならない。宗教は評判の良い一揃いの価値評価器セットだけどこれも自由に選択出来るわけではない。
この考え方の何がイケているかというと一見不合理な言動を取っていても、価値評価器の不具合として責任を押しつけることで、俺は筋が通らないことをしてしまった……というような不毛な悩みから解放されるところです。うっかり生命保険に入ってしまった場合(入ってないけど)、どう考えるかというのを以下に示す。不具合というか、お互いに整合性がとれていない。まず何がおかしいかというと、自分の死後に発生する価値についてはつねに0、というかnullなりNothingなりを返すべきなのに、先読み評価のし過ぎでコンテキストが理解出来ずに過大な値を返してくるのがおかしい。未来を予想する際にそのときの自分の視点から価値を評価しなければならないのに、大概適当にやっているので現時点での視点から評価してて、死んでるから価値が存在しない、というのをわかってない。だがもちろん自分の死後についても妻子に大きな値を返すような人のほうが異性として好ましいというのは事実としてあるから、そこについてわざわざ偽装するよりも実際に大きな値を返す方が都合が良い、ということに長い試行の結果なってしまったので大きい値を返す。これは仕方ないし、元々遺伝子残しに最適化された器官なのでそういうのがうざい、切り捨てておいて欲しかった、というような気分の人にはとてもやりにくい。やりにくいがこれは仕方のないことなので、諦めるしかなくて、どう考えても価値評価器は自分の手で再定義出来るべきだと思うけど実際にはそうなっていないので手を入れられるところだけ最適化していくしかない、ということです。
話は逸れましたが、自分の死後、にも一般に共感を抱きうるということはやはり並行世界もいけるのだろうか、というか並行世界についてなんか実際には知らないし、そこを評価する能力は持ってないので多分適当に似た何かを評価する器官を流用しているに違いなく、たまたまこれが流用されたから並行世界の悲劇に対して真に悲しみを抱きうる、とかそういう偶然レベルの話なのかなぁ、とも思う。