ウェブ上のサービスについて(1)

体験的には納得がいかないし、実に悲しいことでもありますが、私が自分の意識だと思い、正確に外部化しようと常に心がけている言葉の流れは、とくに何の決定権ももっていないものであるようです。あるようです、というか、私が最近そう考えるようになりました。以下に書いてあることは全てそうであり、本の引用を含むのでその本に書いてあったことなんやん? そうやって本の要約をして、なにか書いたつもり? と思うかも知れませんが、そうではありません。本の内容が理解できていないので、要約などなおさら不可能だからです。あと、このエントリはしばらく続く予定です。最後まで読んでもBerryz工房は出てきません。最終的にははてなのサービスの話に繋げるつもりなので、よろしくお願いします。
例え話から入ります。あるところに、学校があってその中に対立がある。ただの対立ではなく血で血を洗うようなおそろしい対立です。割と人がばたばた死ぬ感じです。そういう、新青春エンタな学校には学校全体として一つの目的が存在しており、というか、外から見るとそのために行動している、ように見える、という事がある。この時点でかなり学校に例える必然性が薄れてきた。しかし勿論内部ではさまざまな対立があり、公然と仕切っているのは教師だけれども、隠然たる実力を持ったクラスカーストA級のパーティーアニマル達とそれ以外の有象無象、そして別レイヤー別ベクトルで、そうだなぁ、部活間の対立がある。ジャスティス学園などを連想していただけると説明が省けてありがたいです。この状況で最も力を持てるだろうと予想される部活はどこか? こんな難しいクイズは見たことがない。それは放送部です。なぜかというと放送部は全校と即座に繋がる連絡ルートをもっており、かつ、実は学校全体としての対外活動は放送器具を使用しているからです。しかし、現実と同じく、かどうかは分かりませんが、放送部員は最初の頃に全滅しており、実際に放送室と放送器具を使って放送を行っているのは、その時点で一番勢力の強い人たちです。ちなみに、放送室を占有するとその勢力は圧倒的優位に立てるので、放送室の使い方が洗練されればされるほど、放送内容は安定するし、外部から見ると人格が安定しているように見える……。つまり、頭の中で流れている言葉は実際にはなにかの結果でしかないし、凄い悲しい、どうしようもない、ということ、とその架空の学校が似ている、自分で勝手に想像したものと現実にあり自分がそうであるように捉えているものが似ている、ということを、似てる、と称して良いものかどうか、がこの場合は問題です。