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金閣寺、楽しみじゃん、あした、口からハートが出てそう、金ピカだから!」以外に、金閣寺が楽しみな理由が思い当たらないです。三島ファンなのか。
<今>の特異性と<私>の特異性が似てる、特異さが似てる? というのはいまだにぼんやりとしかわからないのですが、確かに一般的な道徳は表面的な利己主義と利今主義に反する、ように思えます。そこを無理矢理広げて何か日記を書けるのかどうか。ゲーム理論*1を軸に道徳的な行為が報われる、という説明をすることが出来るとして、そういう説明が可能な疑問を道徳に抱いている人にはそういう説明は有効であるけど、利今主義的にはあとになってどうとか、信用できる人がどうとかは関係なく、常にその時、最も利益が大きい選択をするのだから、説明にならんなぁ、と思う。そもそも、その人を時間軸にそって総合して利害を計算するのがおかしい!! いや、おかしくない。ある個人の利益を時間軸で合計して考えるのは自然だ。つまり、利己主義は受け入れやすいけど、利今主義はよく分からない。実感としても抱きにくい。未来の自分にためになるようなことをするってのは、道徳的でなくても考えてしまうし、道徳ほど意味不明な感じがしない。けど、道徳と無縁かというとそうでもなく、刹那的、という言葉は非道徳な感じがする。しかし、「今を生きる」だと、道徳的な感じがする。これは不思議だ。「今を生きる」と「刹那を生きる」はおなじ事を表しているのではないか、違うのか。おそらく、「今を生きる」は継続的な今を想定していて、刹那の方は、過ぎ去ってしまう方の今を指しているのだろう。
まぁいいですけど。真の利己主義は主張することが出来ない、という話。なぜかというと、真に利己主義的な人はそんなことを人に言わない、言えないからだ、真に利己的な無政府主義者は一人でだけの無政府状態を目指すので革命なんかしなくて良いんです、ということですが、その人の利益が、たとえば「(その人にとっての)真実を口にすること」であるなら口に出せるし、そもそも真の利己主義を布教しようとしても普及しないだろうから、矛盾といえるのかなぁ、そんなことで真の利己主義を実現困難なものにして良いのだろうか、と思う。
利今主義な人は生命保険に入れないのか、というと、生命保険は確かに死んでからお金がもらえるけどお金がもらえる前に、お金が将来身近な人に与えられる約束がされた状態、になれるのでその状態を買っているのだなぁ、と考えれば容易に回収できる、あと、この手法を使うとどんな価値でも利己主義と利今主義に回収できるので何も言えない、ということになってしまうので特に考えない。
現在は功利主義的な価値? が共有されているようなので、非道徳な主張をする人は自分の利益がちゃんと計算できない人、みたいな扱いされてしまい悲しい。もっとなんか酷く適当であやふやな恨みとかから構成されるものであって欲しかった。
こんなことが書きたいのではありませんでした。真に利己的な主張を他人に対して出来ない、ということと、脳内に置いて真に利今主義的な主張が出来ない、利今主義的に考えることは難しい、ということは似ているのかどうかについて考えたかったので明日考えます。

*1:僕が言うゲーム理論とは囚人のジレンマのことであり、囚人のジレンマについてだけなら何度も何度も違う切り口で違う本で読んだことがありますがそれ以外にゲーム理論については何一つ知りません