『グロテスクな教養』(ISBN:4480062394)が面白い

『グロテスクな教養』が面白いです。P219。

さて、ここで、本章の最初の登場人物であった鶴見祐輔に再登場を願おう。鶴見の教養論「現代婦人の教養」(『新女苑』一九三七年十二月号)にはある種の本気が感じられるからである。とはいえ、なぜか話はコアラからはじまる。コアラは当時の日本ではほとんど知られていなかったらしく、大きな写真までついている。

あまり引用すると引用部分が主になってしまうので控えますが、皮肉などがとても面白いと思うので読むと良いと思います。インターネットについて触れている部分がほんの少しだけあったので引用。P144。人文書が苦戦をしているとしたら、文化的カッコ良さや文化英雄への憧憬が減ったからではないのか、という部分の続き。

ユリイカ』(青土社)でラカンとかゴダールとか低く呟く場所を与えられるよりも、インターネットの世界で評価された方が楽しいではないか。

僕個人の体験から言うとインターネットで憧憬が減ったかというと全く逆で*1、インターネット(の、特にはてな)に触れるまでは、教養的なものには一切興味がなかったのが、はてなで日夜繰り広げられている(ように見える)"差異化のゲーム"を目の当たりにし、このままではいかんと思い多少本を読むようになりました。今でも、教養的なものは安定して有効な好きなものリスト(ここに自己の確立を依存してますよリスト)のメンバーになるんじゃないか、そして、僕にとってそのような場はインターネット上にしか存在しなかった。ということは、そのような人はインターネットのせいで本を買う機会が増え、本の売り上げは伸びているのではないのかなぁ、と思います。こんな本、インターネットやってないやつが買うことあるのか? とまで思うことがあります。が、まぁ、僕が買っているのは人文的だとしても流行ものの人文書であり本物の?人文書ではないとか、そういうことか、分かりませんが……。数字も知らないし。
そういうことなので、僕のはっくんのイメージはこんな感じです。P187

女性を誘う小道具に使ったのはルパシカやベレー帽、ロシア語がびっしり書かれたノート、埴谷雄高柴田翔高橋和巳の小説であり、「道具立ては「教養」主義風と「インテリ」風」だった

正確に言うと、はっくんでなくはてなダイアリーのイメージです。はてなアンテナはてなRSSは一卵性双生児だけど、RSSは生まれた時にシリコンバレーへ里子に出されていて、全く別々に育ちました。でも20年後に再会するとコーヒーに入れる砂糖の量から、エレベーターに乗る時必ず右足からのることまでそっくりで、よく喧嘩になる。でもそれは全て叙述トリックで、巻末十ページで実は全てのはてなサービスがはっくんの別人格であることが明らかにされる、みたいなイメージ。

*1:本の中で憧憬が減ったとされているのはもっと特定の男子なので僕はそこに当てはまってはいませんが