「人間の本性を考える」について(3)
この本は本当におもしろいので引用したい箇所がたくさんありすぎます。買って読むといいですよ!P252知の欺瞞。アーヴィング・クリストルという新保守主義者の人が書いたことだそうです*1。
さまざまな種類の人にとってのさまざまな種類の真実がある。子どもに適した真実、学生に適した真実、教育のある大人に適した真実、きわめて教養の高い大人に適した真実。だから、だれもが利用できる一セットの真実があるべきだという意見は、現代民主主義の誤謬である。それはうまくいかない。
うまくいかなくたって、仕方ない。仕方ないというか、人によって違う真実を提供する、という姿勢の人から提供される真実は真実じゃないし、不誠実ではないかとおもう。不誠実って何……。善なる嘘、みたいな話だと思うのですが。
真実はいろいろあるけど、それはその真実を本当に信じている人がもってるもので、それを上から見てる人は許容しているのではなくてそれを含んだ自分の真実を持っているだけではないかと思う。
少なくとも公立の学校のカリキュラムとしては、善いことだから、悪いことだから、ではなくて規則だから守れ、理由は管理が楽だからだ、その方が世の中がうまく回るからだ、という教え方をしてほしいなぁ、と僕は思います。教師が大人として道徳的なことを言うのは、わかりますけど。
これは恥ずかしい告白なのですが、「人間の本性を考える」を読んでいると、引用されている意見が、その文脈でおかしいもの(皮肉られているもの)なのか、まっとうな見方として紹介されているのかわからなくなることが頻繁にあります。なので全然ちゃんと読めていないのではないか、という気がする……。
追記
わー滅茶苦茶ですかねこれ。要するに、人によって真実が違うし、あっちの真実の方が楽しそうでいいなー、羨ましいな、と思うことはあるけど、自分では真実ではないと思っていることを良さそうだからという理由で人に勧めるのは傲慢だなと感じます。いきなり学校が出てきたのは、僕がそういう嘘を一番教えられたと思っているのが道徳の時間だからです。あの教育は本当に効果があんのかな。
真剣に書くとしゃべり場る(動詞)ので困る。照れ隠しです。すいません。
*1:だから、インテリジェント・デザインという証明不能か単なる間違った反ダーウィニズムの仮説を信じているか、人々が信じることが重要だと考えている人の意見として紹介されています。