日記

来月オランダかロシアか桂林に行こうと思っているんだけど僕は一人で行動すると宿も取れないくらい臆病なので、大学を中退、20代半ばにして実家で楽隠居を満喫している友人に電話してみた。いつでも暇なので一緒に行ってもいいと言う事だったんだけど、彼の精神状態如何によっては余計旅の困難が増す可能性もあるのでその辺の事も聞いてみた。大学に行けなくなったのはリタリンが無いとベッドから起き上がることも出来ないような状態になったからなのだが、いまは大分ましになったらしい。なんでも、ADHDかつ高機能障害だと診断され直したらしく、大学入学までは"頭が良かったので"なんとか社会生活をおくれていたのだ、と医者に言われた。ということを異常に嬉しそうに言うのでやはり彼も頭の良さに関して変な拘りを持っているのだなぁ、と思った。彼とは中学からの知り合いで僕らの通っていた中学は県内では進学校として有名だったから、小学生の頃は賢い子だねぇ、と言われて育った子供が多く、それをいまだに引き摺っている、特に他にも何も取り得がなかった僕のようなのはいまだに頭の良さに対する特に強い憧れがあるようです。
勢古浩爾さんの「思想なんかいらない生活」はいわゆる「思想」なんて実際には必要でない、ということについて書いてある本で、とても面白かったのですが、僕にとってはいるとかいらないとかいうより、ただ難しいところが憧れ、なのですっきりとした心持ちにはなりませんでした。
しかし、「必読書150」における「これを読まなければサルである」という、柄谷さん提案の新しい人類の定義は本当に酷い恫喝だ!と思います。みんなサル呼ばわりされてるんですよ!
友人との電話は僕が頭の良さについてはなそうとするのを遮るように彼がADHDについてとくとくと語るので全く話が噛み合わず、仕方ないので電波が途切れたような演出を施しつつ適当に切りました。