(・∀・)チゴイネ!

内容ではなく、単純な記号類使用頻度の多寡でもって個性を主張できないものか考えてみる。句点を少なくするのはさんざんぱら既出であるのみならず、商業ベースに乗るほどメジャーな手法である事が昨日判明したので、他の途を探っていきたい。まず、逆に句点を多くするのはどうか。これは結果として短文の連続となる。もしくは文章が終わっていないのに句点を挿入する、という事をせねばならず、非常に読みにくい。良くない。
読点はどうか。読点は確か小学校低学年でその使用法を初めて学習するのだが、当時から入れたいところに入れればよい、等の、曖昧な、何も指し示さない指針しか示されず、いまだにどこに入れるのが正しいのかよくわからない。これを常識的な範囲限度内外で、できるだけ多く、もしくは少なく使用する、というのが、意外に新しいのではないか?という話で、これは存外有望ではないかと思われる。少なくすると、恐らくただ読みにくくなるだけなので、多くするのがよいと思う。一つの語を区切ってしまうのは行きすぎなので、究極的には全ての語を読点で切り分けるような、日本語学習者用テキストみたいなものになる。国語の教科書も最初は句点でも読点でもなく只の空白で語を区切っていたように思うが、あれだ。読点を多用すると電波っぽい、という評も以前どこかで聞いた。
句点、読点を除くと日本語の文章において必須とされる記号は存在しない。これからはただ増やす方向にのみ考えていけばよい。まず最近良く目にするのが三点リーダ(…)の多用で、これを文末に使うとなんだか力尽きる寸前のような風情が出る…。これを推し進めて文中にまで多用する人も居て、なかなかいいな、と思うんだが、なんだか真似っ子みたいなのでこれは避けたい。
次に()。これはどうも人によって流儀があるようで、僕は()の記号を単純に外して読んでも意味が通るし、また、()の中身を完全に省略して読んでも意味が通る、というようなやりかたでつかっていて、これが一番(括弧だけに)カッコいいのではないか、と思っている。完全な文章やらを注釈として入れる人も居るけれど、はてなだと二重括弧で注釈を生成できるからそっちを使うだろう。
あとは、!、?あたりか。?を文中に挿入するのは一時期凝っていて、これは、口に出して言うと語尾上げのような、半疑問のようなものになるのだが、あれは曖昧に言おうとする甘えた根性の現れだ、などとよく言われるのであまり使わなくなった。!は元気な感じがしていいと思う。ただこうやって記号を増やす方向で行くと、顔文字やらギャル文字やらを多用する方が先進的という事になってしまうので、!?()あたりは全て読点で代用してしまって、読点を矢鱈に使う方がいいのではないかと思った。それで個性が主張できるかどうかはよくわからんが、個性なんて無い方がいい、と、馬鹿の壁にも書いてありました。