ザレム人のこと

また仕事しながらザレム人のことを考えていたのだが、ザレム人が狂ったのは本当に脳がチップである==自分は人間じゃない、という事だったのだろうかね。家に帰って新シリーズをちょっと読み直したんだけど、どうもザレム人は大人も子供も異常に脳に執着してる。ザレム人の子供達はイニシエーションという脳をチップに置き換える儀式を行っていないので、脳を持っている。その子供達から見るとたしかに大人は人間じゃない化け物に見えるのだが、当の本人達の問題はもっとちがう事じゃなかろうか。
多分、ザレム人は自分が脳みそを持ってない事に気付くとこんな事を考えたに違いない。「あれ、脳が無いよ」「えーまじ、ちょ、やばい、じゃあ俺イニシエーションのときに出来たんじゃん、生まれたてじゃん」みたいな。そんでイニシエーションの前の本物の自分(脳)はもうゴミとして捨てられてて、自分の記憶は全部偽物だから自分の価値基準だとか行動の原理にも実はなんの裏付けも無くて*1好きな物も本当は好きじゃないんじゃないかとか、そもそもコンピューターに意識なんてあるわけ無いんだから俺は本当は居ないんじゃないかっていうか、じゃあ、今考えてるのは誰。あ、やっぱ俺いるじゃんオッケー。みたいな。なんだやっぱり狂わないじゃん。
ってか、それは結局脳が無い==自分が人間じゃない、という不安と同じ物なのかね。どうにもザレム人は自分が物質としての「脳」を持ってないって事にこだわるんだよ。不思議な事に。その癖、父親を見て、親父さ、なんつって同一人物だとは思ってんだよなぁ。

ザレム人の天才科学者で複数の脳のバックアップを持ち、こんな問題は余裕で超越してそうなノヴァ教授でさえ、

「我思うゆえに我在り」…
なんてなんの慰めにもなりませんね この場合
君のような生身の脳と機械の体…
私達の機械の脳と生身の体…
組み合わせの違いに過ぎないと思いますがね

銃夢」9巻P20

なんて、ちょっと気にしてるし。で、脚注として

フランスの哲学者デカルトは世界の全てが幻だとしても、そう考える自我は確かに存在すると結論し、自分の哲学の第一原理とした。浅はかな考えである。

と書いてあるんですよ。僕はデカルトなんて読んだ事無いですがなかなか語呂が良いし好きな言葉なんですよ、これ。一体この脚注の意図は那辺にあるのか、ノヴァ教授に解説していただきたい。というか解説してるけど俺がわかんないだけとか。

*1:まぁ、脳のある人間にも裏付けなんて無いわけだが