奇人への憧れについて

ルイΘヴィトンの、茶色にLとVのパターンが凄くかっこ悪いと思っていて、あとぐねぐねしたグラフィティのも、"彼の作品だけが現代美術"ことズルイ男、村上隆さんデザインのものも全て、どんどんおかしくなっているようにしか見えない。でも、このような印象も含めて、あのバッグや財布を持っているだけでどんな嗜好の人間なのか主張できるし、少なくともそれくらいの金銭的余裕はあるという事は表現出来るので、どんどん持つべき。
でも、僕はそういう印象をもたれようと思わないし、お金も無いので、持つ必要なし。興味0で万事大丈夫なのです。ブランドは全部この理屈で無視して大丈夫なものに分類できる。ブランド力悲惨。男のステータスとか、そういうのも全部無視。ステータスが必要になってから検討すればいいし。
しかしながら、世の中には、良さが全く理解できないけれど、とても評価が高いものや、センスがいいとされているジャンル等があって、これは見栄から言ってとても無視できない、平静を保てない。僕にとっては、ある種の音楽と、文学と、その他の人文科学諸々が全部ここに含まれているので大変です。外から見ていて、ミーちゃんハーちゃんか、ブランド、カッコつけ、のようにしか見えないものでも、極一部の人にはその良さがわかっていて、その極一部のハイセンス人があまりにも素敵なので周りがつられて良がっている可能性もあり、容易には判断が下せない。
オタクというのはそういうヴィトンから離れて、周りの人間の評価と関係なく楽しく暮らせる人達の事だと勝手に思っていて、その人間関係が苦手なところを逆手に取った生活術が素晴らしいと思っていたんだが、なんだか最近はそうではないらしく、まぁなんか色々有る。これは言葉の定義の問題なのでどうでもいい事ですが…。エゴブーとか(ファンジンの)、現代系とか…。
次に僕が期待をかけたのが引篭もりの方達で、家に篭ってしまうほど、自分の部屋が楽しくなるなんて凄い、と思ったんだが、勿論そんな事は無く、知り合いの元引篭もりの方は、自分は才能があるのになんで認められないんだ!!という怒りでとても苦しかった、と仰っていたので、余計大変そうだった。つまり、普通に仕事をしているだけでも何ぼかはそういう評価を得た気分になれるはずなので、それが無い事が無視できないとなれば部屋に篭っても情況は悪化するだけです。ほんと、引篭もりも部屋で何かを創造できる!とかじゃなくて、開き直って何もせずに幸せに部屋で独り暮らせるようになる心の訓練法!!とかを開発して欲しい。
背中蹴りたがり矢さんについての色々な評価を見ながら思ったのはそういう事で、萌えの方に引っ張ってみたり、ヴィトン騒ぎだったり、そういうのがあって、なんか沢山本屋においてあったので買ったら面白かった、というような感想を平然と書きたかったが無理そうだったのでこうなった。1ページ目だけは暗記しそうな勢いだ。
危うくここで終わりそうになったが、まだタイトルまでたどり着いてなかった…。つまり、オタクにも引篭もりにも期待できなくなった今、僕が唯一期待をかけられるのは真の奇人さん達だけなのだけれども、奇人さん達は実際の人たちの評価を気にして居ないように見えるが、それは評価が耳に入っていないだけで、実際には僕には見えない人によって酷い悪口雑言を浴びせつけられている可能性が高く(だから、いつも大声で反論している)、かえって酷い事態だ。また、僕が仮に人里はなれて知的好奇心からくる探求を独りで行うカッコいい仙人のような存在になれたとしてもその時はもうそのカッコよさは理解できなくなっているので大変つまらない。放っておいてもどこかで折り合いがつくはず。