日記について(2)

自己責任論者の女性のみで構成された精鋭落下傘部隊が派遣村へ急降下、迅速な展開ののち村を焼きつくす、という話を社会風刺を交えつつ書ければよいのだけど、いろいろと足りないものがあるので、替わりに翻訳をしたいと思った。つまり、言語の処理が楽しいのだから、別に日記でなくてもよいのでは? しかし創作はおもに能力的な問題から不可能であるため、今年は翻訳がしたいと思ったのです。かなり真剣に検討したので題材も決まっており、英語版wikipediaの『フレンズ』関連の、異常に充実した項目を日本語版ウィキディアに訳そうと思って、いろいろと関連の文書を読んだ。とりあえず、日本語版ウィキペディアの編集心得的なものを読んだ時点で遠からずほぼ確定的に挫折するのは明らか、となったが、失敗するとわかっていても挑戦せねばならない時もあるので調査を続けた。見ていると、ほとんどの、『フレンズ』関連項目はページ上部に警告がついていて、内容は「現実と創作の区別をつけてリライトしろ」「ファンサイトみたいだ(から直せ?)」「文法とか書式もおかしい」などなど。中には、警告の付いてない項目も存在するけど、大体当てはまるようだったのでやめました。
思いのほか、翻訳しようと思ってやめた話が短かったので、リライトについて書きます。人の日記を読んでいるとリライトしたくなる。このあいだから、一度書いた文章は消さないというルールでやってるので非常にながしにくい。そういうルールでもつけないと一定の長さまで日記がたどり着かない。これは、自分の中の、一定の長さにならなと日記が更新できない、というルールに沿うためだけの対策なので非常に申し訳ないです。ルールに沿うことより、そのルールがなにかの兆候でないか心配したほうがいい、という気もします。