日記について考える

こんにちは! 今日のドラクエ日記はお休みです。
流行の話題に触れるのを敢えてさけたことがある。本や映画のタイトルだけを日記に書くことが理解できない。というタイプの人は、もっと拡大してその傾向を適用すれば日記に方向性を持たせることができそうです。動機はあるのだからあとはそれをどう押し進めるかが問題です。
基本的には日記から余分なものを削ぎ落とす方向で進めていけそうです。まず何かを紹介することをやめます。それは私と関係ないからです。特に引用は危険です。一度引用に手を出すとなかなか足を洗えない。世の中には素晴らしい文章がたくさんあるので知らず知らずのうちに引用が増えていき、これ以上は危険だとわかっていてもやめられなくなります。だから引用には手を出さないこと。
プロフィールを書いてはいけません。たとえ同じ内容の日記であっても特殊な境遇にある人の日記のほうがより強く他人の関心を呼びます。特殊な境遇でなくても、同じような立場の人から共感を得てしまうかも知れません。境遇から呼び起こされる関心や共感には意味がないですし、そもそも社会的なプロフィールと本当の私には関連がないので書く必要がありません。
役に立つ情報を書かないこと。役に立つ情報は人を引きつけます。役に立つ情報で人を引きつけても意味がないので役に立つ情報を書いてはいけません。問題なのは、どんなに詰まらない事実でもそれを求める人にとっては有用であり得る、ということです。ですから、むしろ役に立たないどころか有害な情報を日記には書くべきです。有害な、というのは社会にとって有害であるということではなく、単純にそれを読んだ人にとって有害であるということですから、事実とは異なることを書いておけば大丈夫です。
読みやすい文章を書いてはいけません。たとえどんなにつまらない内容でもリズムのある文章は読んでいて気持ちの良いものですから人を引きつけます。それは本質的な部分ではないので、そういった事態を起こさないようになるたけ悪文を書くべきです。同様に、レイアウトも最悪に見づらいものをおすすめします。
最悪に見づらく読みづらい、嘘ばかりで、誰が書いているかもわからない、そもそも隣り合った日付の間に関連があるようにも見えない、そんな日記でなければ本当の私日記としては意味がない、負けだな、と思う。