部屋の研究

自室における僕の動作、それに伴う生活音と、隣室から突如発せられる怒声の間に強い相関関係が認められる。僕が統計に騙されている可能性を排除するなら、因果関係が存在しているのも間違いないだろう。順番としては、必ず生活音 → 怒声なので、(原因)生活音、(結果)怒声、ということです。僕が発生させる生活音をx、隣室の怒声をyとすると、数式モデルは y = f(x) となる。椅子に座るとスプリングの音がするので常に一番下まで降ろしてあるし、忍び足もどこの里の忍者かと訝られるくらいには上達した。結果、ここ半年くらいは怒声を聞く機会がなかった。ところが、函数fは今も日々変化を続けている。一昨日、寝返りを打った直後に怒声が発せられた。まさか、と思い、もう一度寝返りを打つと、またも怒声。打てば響くといった感じのあまりにリニアな反応だったから、状況が変化したことは認めざるを得ない。その日、その後は一切寝返りを打つことなく朝を迎えた。
翌日。つまり昨日。部屋の様子を十分に検証した結果、木製のベッドに疲労がたまって、寝返りを打つ際に微妙な軋み音を発していることがわかった。また、怒声が異常に近くから聞こえたので、どうも薄い壁を挟んですぐ傍に隣室の人間が寝ているのではないかと思われた。ベッドは足側半分を押し入れに突っ込むような形で配置しているので、ベッドを移動すると部屋から一畳近くのスペースが奪われるし、テレビやPCは配線の関係があって動かせない。静音タイプのベッドが入手出来るまではベッドの反対側、窓際に布団を敷いて対応することにした。窓際の、とくに低い位置は部屋の中で一番涼しい場所なので、夏を越すのにもちょうど良いように思われた。
寝る前に歯を磨こうとすると、水道が出なかった。シャワーはスポーツクラブで使ったので、それまで気が付かなかった。水道が止まるのは初めてだったので多少焦る。トイレやシャワーも確認して、どうやら本当に止まっていることがわかった。仕方ないからそのまま寝る。二時頃、安定した場所にしっかり固定された金属同士が激しくぶつかるような酷い音がしたので目が覚める。続いて水音、あぁ、これは水道が回復したんだなぁとおもってダッシュで流しの蛇口を締めたけど、断続的に水道が回復するらしく、ガタガタ音は続いていた。それと、トイレの水槽に水が流れ込む音も。これは怒声確定だなぁと身構えたけど、あまりに異常な音だったからなのか、怒声はなかった。
窓際の布団に戻ってから徐々に恐ろしくなってきた。それまで、水道が止まっているのは料金滞納によるものだと思っていたけど、この時間に上水が回復すると言うことはそうではありえない。降雨不足による供給制限の話は聞いていない。つまり、これは何者か、水道の仕組みにとても詳しい誰かの手によって、僕の部屋だけ水道を止められていたのではないだろうか。そして、真夜中に突然供給を再開することでビックリさせようという手の込んだいたずらなのでは。いたずらとしてはあまり聞かないけど、精神に受けるダメージは保証出来る。窓際に寝床を移しておいて良かった、と思った。誰もそんなところに人が寝ているなんて思わないから、不意の侵入者を十分に驚かすことが出来る。僕はその時点で寝起きだけど、心の準備は出来ているから柔軟な対処が可能だろう。翌朝、今日。念のため、水道の請求書が入っていないか確認しようと、久しぶりに郵便受けを開けると、今週いっぱい、夜11時から朝6時にかけて不連続な断水が起こることを警告する工事通知のビラが入っていた。