僕が部屋にいない間、部屋で何が起こっているか

基本的にはなにも起こっていないが、風が吹いているだろう、と想像している。僕が部屋にいる間、風はほとんど吹いていない。この部分を書き終えるまでに、風が吹く、風が吹かない、風は吹く、風は吹かない(じゃあ何が吹くの?)、風を吹かせる、風は吹かされない、などさまざまな表現を検討した結果、「風が吹く」はかなり特殊なことばではないか、という印象を受けた。主語 + 述語で分離して把握出来る感が薄いというか、いっそ「風が吹く」で一つの言葉ではないかとさえ思う。風のような意味で「吹く」ものは他に存在しない。たとえば、「雨が降る」であれば雨の他にも雨と全く同じやり方で「槍が降」ったり出来るわけだけど、風の他に風みたいな吹きかたが出来るものは一切なく、強いて言えば熱風が吹いたり出来る程度で、熱風は熱いだけの風だから結局風が吹いているわけであり、またここでも風だ!! 風ですよ!!
吹くといったら風なのだから、風が吹くなんていわずに、単純に「吹いた」「今日は強く吹いている」といえばよろしい。しかし、「風が」と切り離された「吹いた」はもう「ふいた」と読むのが正しいのかどうかもわからないくらいあやふやになるし、ある人がある人に面と向かって「吹いた」と言ったり、タグ付けしたりしたらそれはもう酷い侮蔑だと受け止められて当然だから、絶対に「吹いた」なんていってはいけない。欧米で、初対面の人に「吹いた」なんて言おうものなら、その場は万人の万人に対する闘争の舞台として宣言されたと解釈されます(ジョークです)。
部屋にいる間もいないときも、ベランダに繋がる窓は網戸にしてあるけど、僕の部屋は六畳一間で、ベランダ方面以外に開け放たれた窓は存在しないから、風が通りすぎるルートはどれほど表計算が発育したコンピュータでも発見出来ない。だから、僕が部屋にいる間、風はそよとも吹かない。しかし、僕が部屋にいないときは風が吹いているのではないか、と思っていて、なぜそんな風に思っているのかがわからなかった。僕が部屋にいない間に僕が部屋にいたわけではないから、僕が部屋にいない間に部屋を通り過ぎる風を僕が体験したということはあり得ないはずだが……。しかし、今日なぜそんな勘違いをしていたかがわかったのでこの場を借りて発表します。僕が部屋に戻るときは当然ドアから部屋にはいるわけですが、この時、まず、ドアを開け、それから部屋に入ります。頑張れば、かなり素早くドアを開けて間髪入れずに部屋にはいることも出来ますが、どうしても、ドアを開ける → 部屋に入る、という順番だけは覆せない。ドアを開けるよりも素早く部屋にはいることは出来ない。だから、僕が部屋にはいるときはドアが開いているのですが、ドアが開いていると風の通り道が計算出来るので(というか、計算は複雑すぎて出来ませんが、計算しなくても勝手に風は通る。なぜ風は計算出来ないような複雑な動きが出来るのか、というのは謎です)、風が吹く。この時、いま、まさに部屋に入ろうとしている僕からすると、ドアを開けるといつも風が吹いている、ということは、僕がいない間は常に風が吹いているのでは? と誤解する余地がある。もちろん、部屋を出るときも同様に風が吹くわけですが、部屋を出るときはひたすら前を見つめているので背後に揺らぐカーテンを気にする余裕がないし、気付いたとしたって僕は部屋を出て行くわけだから、つい風が先走ってうっかり吹いてしまったのでは? と考えることでその場は納得出来る。