復讐について

「僕/私は誰とでも仲良くなっちゃうんです」というから「俺以外とはな!」と即答する(次回からは)。その後も毅然とした態度で仲良くなることを拒否し続ければ相手の言葉が事実ではないと証明できるから、是非最後まで貫いて復讐を完成させたい。復讐を抜きにしても「僕/私は誰とでも仲良くなっちゃうんです」と言えるような人と仲良くなりたくはないのだが、なぜそのように思ってしまうのか、について考えてみたい。誰とでも仲良くなれる人と仲良くなるのは、あまり周囲と仲良くなれない人と仲良くなるよりもハードルが低いだろうし、僕は最終的に出来るだけ多くの人と仲良くなりたいと常日頃から考えているので、ハードルの低い人から仲良くなるのもいい選択であるはずで、いっそ誰とでも仲良くなれると自称する人から順番に仲良くするよう心がけても良いくらいのものだが実際にはそう思えない。
まず、一コミュニケーション弱者としては、「誰とでも仲良くなれる」発言は単に自慢として受け止められる。お金に困っている人を目の前にして「お金がどんどん入ってきちゃうんです」というのに等しいのではないだろうか。そんなことを言う人と仲良くなりたいと思うだろうか。また、「自分は誰とでも仲良くなっちゃう」ひとと万が一仲良くなれなかった場合、それはこちらの特殊性に原因があると言うことに、相手の中ではなってしまうのではないだろうか。本来は、誰とでも仲良くなるのだから。
正確に言うと、「僕/私は誰とでも仲良くなっちゃうんです」ではなく、「僕/私は誰とでも仲良く出来るんです」だったかもしれなくて、この場合、更に対人関係能力に自信を持っている感が強まる。誰とでも仲良くできるけど、そうしたくなければしない、したければする、選択権はこちらにある、と言うような。選択権を一方的に握られるのはいやなので、こちらにも選択権があるのを示すため、あからさまに仲良くなりたくない、という意思表示をする、というのが、復讐の実情ではないか。原因が分かったからどうだ、ということではなく好き嫌いは僕が見つけた原因やその他とは関係なく発生しているのでそれに素直に従う、という道を目指したい。
「僕/私は誰とでも仲良くなっちゃうんです」は尋常な発言でないと思うし、実際今日耳にしてかなり動揺したけど、たぶんなにげない発言にもすべて何か意図がある、と思っているのがおかしくて単純にその人は自分は色々なタイプの人と仲良くしているなぁ、と思ったからそういっただけでそれはおそらく本当で親しみの持てる素晴らしい人なんだろうなぁ、とは思う。こういう事を考えすぎた結果、意図が読み取りにくい言動をするようになってしまうのかもしれない、と思ったがそんなことはないだろうか。そもそも意図を読み取られるのがよくない、という考え方がおかしいかもしれないけど、他人の対人関係の意図が見えやすい言動を見て自分が凹む、という事態が頻繁に発生しているのだから、そのことを自覚したらもっと凹むのは目に見えているわけで、そうならないようになるまでは頑張って整合性のとれない言動をしていきたい。