日記

正月というのは、家族についてや、家からみた自分の将来、などについて考えるためにまとまった時間を取る良い機会ではないでしょうか。実家にいても全くやることがないし、普段はそういった事についてなかなか考えないからです。僕は、思考が日記形式として意識されるよう最適化されているので、家族について面白可笑しく紹介するとしたらどんな日記になるだろう? という形を借りて家族について考えることになりました。出来れば、ハハログとして出版のお誘いが殺到するくらいのものにならないだろうか? それは無理でした。最近年始に帰省するたび強く意識するのは、母が相当おかしい、ということです。母親は一人しかいないので比較する対象が無くついうっかり見逃してきましたが、どうも本格的におかしい。誰も気にしていないことをしつこく主張し、しかもそれが明らかに誤っている、認知の歪みという奴ではないか、と思える。もちろん僕がおかしいという可能性もありますが、弟とは上記に付いて意見が一致したのでとりあえずは母親がちょっとおかしいのではないか、と考えています。この時点で、相当面白可笑しいから遠く離れてしまったので、僕が小学生だった頃のエピソードを紹介します。僕には四つ年上の姉がいるのですが、母親は当時の姉の担任、女性の教諭、とそりが合わなかったらしく、なんだか色々揉めた結果、その教諭は次の年から担任のクラスを持たなくなりました。この辺の事情はいまだによく分からないのですが、母も結婚前に小学校の教師をしていたので何か色々言いに行ったりしたのだと思います。女性の教諭はその後音楽の授業のみを担当していましたが、何故か僕にだけ態度がおかしいので色々と独自に調査した結果おぼろげながら上記のような事情が判明したというわけです。というような感じのことを実家にいるあいだ中考えていたので、大体今年一年分は実家事情について考えつくしました。昨年は弟の彼女が妊娠事件などもあったので、普段よりもハードな帰省だった。僕は過去、彼女を親に紹介したことは一度もないですが、今後も絶対しないでおこう、と強く思いました。以前に一度、一生結婚はしない(出来ない)だろう、という環境面まで含めた極めて冷静だと自負する予想を口にしただけでも強い反発があったので、実用化され次第、意識を計算機上に移してしまいたい、というような将来設計は口にしない方が良さそうです。上の世代の方が脳を捨てることに対する反発が強そうなので。
ここまで書くのに三十分かかった。散歩中に考えたことはこれの軽く十倍はある。普段から日記に書く口調で意識されるのだからそれをタイピングするだけで済むのではないか、ならば日記はもっと早く書けるはずだがそうではない、日記を書くのは相当面倒くさい。この理由について考えたい。
散歩中に頭に浮かんでいる日記調のものがなぜそのまま日記にならないか、というと、まず一番には正確に思い出せない、というのがある。しかしこれはメモを取れば解決するのであって、実際にしたこともあるがメモを元にして文章を再構築しても日記にならない。散歩中は一続きの文章として整合性がとれているような気がするのにもかかわらず。ということは、一つには単に散歩中は文章として見たときの基準が大幅に緩和されている、歩いているときはいい気分なのでそのまま日記になるような気がするが実際には大甘の採点でありちゃんとした日記になっていない、という考え方がある。しかし、どちらかというとキーボードの前に座っているときよりも散歩中の方が頭が働いている感じがするのであって、その時点での頭の働き具合の意識され方で言うと、入眠する直前と良い勝負である。ちなみに、入眠の直前はその時点の自分は最高に頭が良く、昼間の自分はなにも分かっていない、というような気分になっていることが多いが、これは相当怪しい。しかし実際にそうではあるかも知れない。ごちゃごちゃしたので整理するとこうなる。

PC前に座っているときの評価
散歩中 > PCの前 >>>>>>>>>>>>>>>> 入眠直前
散歩中の評価
散歩中 >>>>>>>> PCの前 >>>>>>>>>>>>>>>>>>>> 入眠直前
入眠直前の評価
入眠直前 >>>>>>>>>>>>>>>>>>>> 散歩中 ≒ PCの前

散歩中の方がPCの前よりも頭が働く、というのは一致した評価のでとりあえず信頼するとして。面倒なので省略すると要するに、つまり意識されている文字列は思考の一部がそういう形で浮かび上がっているだけなのであり、裏では色々な複数の演算なりオブジェクトが存在しているので、無理矢理文字列としてシリアライズしたメモから再生しようとしたとしても自分でさえ上手く行かないし、全世界に公開するブログではなおさらであろう、ということは色々努力するよりも散歩中とPC前での意識を一致させるスピリチュアルな技法の完成を目指した方が良いのではないか? ということです。