ウェブ上のサービスについて(3)

昨日の日記は普通に酷いと思ったので書き直す。
みんながそれに従うと全体として幸福になる、という功利主義的な規則から出発して、その規則に私がしたがうべきである、に辿り着くまでのハードルは沢山ある。どれでも良いような気さえする。つまり私はみんなが幸福なるという程度の理由では従わねばならんなぁとはまったく思わないしだれも思ってないと思うのですが、その理由はどの辺にあると考えられるか、あと、みんなそう思ってないなら道徳をみんなの利益になる、とかと結びつけるのは嘘くさいというか騙されてる感じがする、まぁほかのに結びつけたら結びつけたで嫌ではあるんだけど。というか、それは個別に反論すればいい(そんな規則に従っても幸福の総量は増えない、もしくは不幸の総量が減らない)のかも知れないけど、そもそも総量として考えてない、そんなものが大事だとは思えないのに、そう主張しなければならないのは気持ち悪い。
で、ハードルの話。私は利己的な存在である、というのと、規則に従うことには特に価値を見出していない、のを前提にするとして。

  • 1.規則だから従ってください!
  • | 他人のことなど知らないのでいやです
  • 2.みんなが従えばみんなが全体として幸せになる規則ってものがあるんやで(お誘い)
  • | 従ってる振りをするのが一番効率的である理論
  • 3.嘘つきのコストなど(内容は怪しいが大きい感じはする) / 結局、功利的でない主張は説得力がない? よくわからない(自分以外の人は功利主義的なことを言う程度の人が良いので歓迎される、みたいな)
  • | 今が一番大事なのでそんなわけのわからない話は理解できない / 護身完成

段々、利今主義がメチャメチャになってきた。しかし利今主義さえ徹底させれば限りなく自由であるような感じはする、あと理解不能なものに憧れる性格なので何とかしたい。利己主義は当然なのに利今主義は僕にとって当然ではない、というか意味がよく分からない、利今主義者になりたい(よくわからないものに対する憧れ)
これは、多重IDってばれなきゃいいんじゃん? でもばれたら今まで築き上げてきたID人格が台無しだぜ、みたいな話を言葉を変えて書いているだけです。



つまり、本当は妥協案でしかなくて別に本当にそうしたいと思っているわけではないが、そう思っている振りをした方が良い(なぜそんな風になるのか理解できないけど)のでそうしているだけだ、ということでしょうか。みんながみんな振りをしているわけではなくて、本当に内部化して規則とか守るのが嬉しい! みたいな人も時々いてそういう人はそうでない人にとって歓迎すべき隣人なのでとりあえずその真似をする、みたいな。結局なんかで読んだ話になったのでがっかりだ。