読書感想文 / 『文体練習』(ISBN:4255960291)を読んで

私が一人でパソコンの前に座り何時間も日記を書き続けていると、「光陰矢のごとし。もっと勉強、啓発!」という声がどこからか聞こえてきて、私たちを机から引き剥がそうとする(一人暮らしなのに!)。私が『文体練習』を読ながらしきりに思い浮かべたのが、この「光陰矢のごとし」で始まる不思議な声のことだった。
『文体練習』には、フランスの作家クノーが1942年から1973年にかけて、同じ内容をそれぞれに異なった文体で綴った99の文章が収録されている。一つ目の「メモ」から最後の「意想外」まで、繰り返し描かれているのは、バス内で見た一風変わった男性にまつわる些細な出来事でしかない。
本書の中で使われている"文体"は、様々な視点から作り上げられていて、簡単に真似できそうなもの、意味不明なもの、思わずとばし読みしてしまう物まで様々だ。たとえば、"6・びっくり"では全てのセンテンスが新鮮な驚きに満ちている。具体的には、全ての文が!マークで終わっている! もう! 私はその出来事について読むのが今日だけで六回目だって言うのに! 驚きもなにもあった物じゃない! それでも、私は大体において楽しく驚きに満ちた状態で99の文章を読み終えることが出来た。
この、驚きと楽しみが一杯な読書体験の中には、日頃の私たちの生活を見つめ直す良い材料が含まれているように思う。私たちは、いつも日記に書くことがないなどと言って苦しんでいる。時には、日記に何か書くために本当はしたくない外出までしてしまうほどだ。文章を水増しするために細かい嘘を書くし、新しい情報は何か無いものかと、母に文句を言ってしまう。
私が思うに、クノーもあまり変化のない、退屈な生活をしていたのだろう。それでも作家だから何か書かなければ食っていかれない。それで生み出された苦肉の策が、ありふれた出来事を様々な文体でかき分けることだったのだ。私は、この作品から、どんなつまらない出来事だって、それだけで三ヶ月と十日ほどは何かを書き続けられるという教訓を得た。
また、クノーはフランスの作家だ。当然、おそらくこの本は元々フランス語で書かれていたのだと思う。文体が主なテーマであるこの本を翻訳するのには大変な苦労があったようで、58ページにも及ぶ訳者後書き(本全体で195ページしかないのに)には各文体に対する解説や苦労話などが収められている。フランス語としても変わった書き方、その変わっている具合を出来るだけそのまま日本語へと移し替える苦労、この訳者後書きも大変に教訓に満ちていた。その意味で、この本の主役は様々な文体を演じ分ける日本語そのものでもある。日本語は特に人間関係や場のあり方によって細かく文体が左右されるという特性を持つのだそうだ。つまり、私は何気なく何かを書くことに対しても常に関係や場のあり方について無意識に判断しているのだろう。この訳者後書きによって、こうした特性を意識させられ、日常の対人関係スキルとしての日本語文体研究を行うことの可能性を大いに啓かれ、勇気づけられる思いであった。
フランスの詩人、ヴァレリーは"自分を意識する自分を意識する自分w……"という、最大七連鎖に及ぶ自意識を素早く仕込めたそうだが、私に聞こえてくる声もそのうちの誰かが囁いているのだろう。次にあの声が現れた時には、この本を突きつけてやろうと思う。それとも、もしかして、この部屋には、わたしのしらない、なにかおそろしい存在がひそんでいるのかもしれません……。

付記

およそ、原稿用紙枚四枚弱です。五枚書きたかったど駄目でした。昔の辛さ、読書感想文の書けなさを思い出せたので良かったです。最後が凄い投げやりになってしまいました。四枚弱だと小学校高学年くらいなのでしょうか。読書感想文の書き方につきましては、全国の中学生に贈るサイト こうすれば書ける読書感想文を参考にさせていただきました。
全国の、まだ宿題が終わずに苦しんでいる、小学生、中学一、二年生の方は自由に書き写して、学校へ提出などして頂いて構いませんが、特にまだ感想文を書いていないであろう、Berryz工房℃-uteの皆さんにこの読書感想文を捧げたいと思います(℃-uteは岡井さん以外きちんと終わらせていそうなイメージです。というかイベントのプレゼントで持っていけばよかった!! 来年はオリジナルな自由研究を持って行きたい)