『告白』(2)

電波男』は非常におもしろかったです。自ギャグと過剰な攻撃に覆われたピュア、オタクギャグの粋を集めたような軽快な文章で、楽しく最後まで読めました。社会、女性に対する記述は当たっているかどうかよくわからないですが、個人の選択として恋愛を完全に放棄するというのはすげぇあり、ありっていうか、そうするしかないのではないか? と思いました。まだまだ思い切れていない方は読むといいと思います。サンジョルディの日、「id:みんな」にこの本を贈りたいです。
電波男は感想も非常に充実しており、ざっとはてなを見て回っただけでも僕が抱いたような感想はみんな既出でしたので、感想を書くのはやめにしまして、ここはひとつ僕の恋愛観を披露したいと思います。なぜ恋愛が無理であると思うようになったかということについて説明します。
恋愛には理想の形がありまして、一対一で死ぬまで続く、というのが条件の一つなのですが、まずこれが実感としては不可能(そういう風に思うこともできない)で、そんなことを口に出したり振る舞うたびに嘘をつかねばならんというのが一番厳しいところです。『電波男』の中でも、オタクは純愛が好きだ、やさしい、等の記述がよくありますが、こと移り気するかどうか、という点に限れば移り気しまくっているのであり、その点は純愛の条件を満たしていないです。僕の周りで探しても、一人のキャラクターに思いを寄せ続けたのは高校時代の友人、半田君しかいません。半田君は同級生2の唯に純潔を誓っていました。その半田君にしたところで、僕らも高校を卒業してもうすぐ十年、開き続ける一方の年の差などの問題もあり、いまだにその誓いを破らずにいるとは思えないです(守っているとしたら尊敬します)。
僕は男なのですが、男一般についても大抵実感として恋愛は永遠に続かない、「永遠はないよ」派であるように見えます。逆に女性は「永遠はあるよ」派であるように見えます。これはちょっと女性とつきあいが少なすぎるため、過度の女性ピュア化によって歪められた印象であるという可能性も否定できませんが、まぁ少なくとも振る舞い上は、そう見える、ことが多い、そういう人がいました。僕はこの食い違いについては以前から気づいていたのですが、どうも理由がよくわからない、ひょっとしたらこの食い違いは気のせいレベルのもので、解消可能なものかもしれない、もしくは騙されているのかもしれないと思っていたのですが、そうではなく女性は本当に恋愛を長期継続させる必要が生き残り戦略上必要だったのだ、ということを知り、この違いは定められた事実であるのだということを知り、そして恋愛をあきらめました。
その戦略上必要だった、というのはこういうことです。これを知ったのは(またも)スティーヴン・ピンカーの「人間の本性を考える」です。以下で僕の覚えている限りで説明します。僕が説明すると非常に嘘っぽく、竹内久美子っぽく聞こえるかもしれませんが、実際に本を読めばあぁ、なるほど、と思うはずです。
非常に単純な話で、子孫を残すためのコストの支払い方が男と女では全然違うのがその理由です。まず女性は子供を産んでしまった時点でかなりのコストを支払っているので、子供の面倒をみる、というのが重要です。逆に男は子供を産む、ということに関していえば、コストが非常に低い。女性側としては、二人の子供なので、男にもコストの半分を支払ってもらい、子供を育てる必要があります。逆に男側からみて最上の戦略は、他の夫婦の女性側と合体して、自分の子供を育てさせてしまうことであり、そうでなくとも合体だけならほとんどノーコストなので合体しまくる、みたいなのが、いい、ということであり、だから昔からコストを人数分負担できる富豪は必ずハーレムを作るわけです。ちなみに、現代の富豪(ハリウッド俳優など)は、同時に複数と交際するのは印象が悪いので、結婚→離婚を繰り返すことで、時系列で分割された四次元ハーレムを作るのです。
うーん、そうか、こりゃあ、理想の恋愛は元から不可能だったんだ、と僕は悟り、こりゃだめだ、と思いました。