『告白』(3)

ポールさんの話に戻ります。ポールさんの何がそんなに刺激的なのか、アメリカすげぇ、的記述がよく出てくるとこ、なのか、なんなのか、まぁでも、あまり細かいことではないだろうと。多分これは裏切られた感じです。つまり、ポールさんは自分のことをオタクであるといったり、SPA!バリの一人称複数を使いこなしたりするにもかかわらず、全然身近ではない。それはそうだ。ポールさんはすごいやつです。そんなことは数年前に関数型言語スレで紹介されていた「普通の奴らの上をいけ」を読んだときからわかっていましたが、それにしたって、ベンチャーやったらぎょーさん儲かる可能性があるでよお(なぜ関西弁なのか、と指摘されたので名古屋弁(西区)のつもり、で書いています。語尾上げの「で(し)よお?」みたいな感じで読んでください)、とか、なんか、こう、アメリカのオタクって仲間内での名声のために戦ってるじゃなかったのか! みたいな、アメリカ人が忍者に対して抱いていた幻想を打ち砕かれたのの真逆のような、そういう気持ちです。いっそ、本文中の「オタク」がすべて「ハッカー」と書いてあれば、あー、やっぱハッカーってすげぇんだな、みたいな、そういう気持ちで読めたかもしれない。あるいは、並み居る大企業相手にベンチャーで一発やり抜けた若手社長のビジネス啓発本だと思って読めば(読んだことありませんが)なるほど、と思ったかもしれません、が、そうではなかったので、あまり先入観を持って本を読んだらいかんて、ということかもしれません。
(つまりこういうことです。僕は「オタク」を通常の世界から離れたどこかで素晴らしいものを見つけた人だと思っているので、それがお金が儲かる、というところに結びつくのが気に入らないのです)
それを抜きにしても引っかかるところがある。まぁ本を読んでいて引っかかるところがあるのは当たり前でこうして書こうと思うところがなにかある、なにかある感じではありますが、それはやはりセンスがある、ないの話で僕はセンスがあるないの話になると冷静ではいられません。ポールさんは、センスは実在する派です。で、あるばかりか、センスなんてないよ派(相対主義大好き派)を腰抜け呼ばわりするんですよ!

ほかのどんな仕事とも同じように、ものをデザインする仕事を続けていればだんだんうまくできるようになってくる。センスが変わってくるのだ。そして仕事が上達する人は誰しも、自分が上達してくるのがわかる。だとすれば、あなたの古いセンスは単に違うというだけでなく、今より悪かったのだ。センスに正しいも間違いもないなんて公理を信じるのは腰抜けだけだ。

ハッカーと画家」P139。続けていくとある程度同じ方向にみんなが進む、というのはわかる。のですが、こと、センスというものが重要視されるような分野でそれに熟練した(飽きた)人の好むものが"良い"ものなのかどうかはわからない、わからないというか、言えない、というか、これは"良い"とはどういうことか、という話なので、まぁどうしようもない感じではあります。しかし、それを良い悪いと言い切るところがあれだ。あれだ、とか言って。そんで、その後に、良いデザインに共通する項目、「単純である」とか「永遠である(永遠はあるよ)」とか「正しい問題を解決する」とかがあげられています。しかし、センスに良い悪いもない、といっている人は、そういう、良いとされている共通のライン以外に、それを無視して成り立つセンスの良さ、といわれるものが存在する、時代によって循環したりするものがある、というところを、センスには根拠がない部分があると言っているのではないか。また、そういうふらふらしてないものはセンスじゃなくて技術なんじゃないの?技術とははっきりくくれないものをセンスと呼んでいたのではないか、だから、これが良いセンスだ、といわれても困る、というこれも言葉の問題なのであれですが……。
ちなみに、ポールさんは道徳の流行は服装の流行と同じくらい根拠がない、とも書いているので、服装のデザインはセンスではない、ということなんでしょうか。ここでいう「ものづくりのデザイン」というのはもっとごくごく狭い世界の話、なのだろうか。