なにもしない人ほど批評家になる[→] via:id:koseki:20040619#critique

なにもしてない人ほど批評家になるというのが事実なら、僕にとって批評家は天職である筈で、在学中に華々しく論壇デビュー、今はその主戦場を文壇に移し八面六臂の活躍をしているに違いないのであって、現実には僕は批評を職業としていない、というその一点から考えても僕はこの文章に同意できません。冗談を言いました。ここで言われている批評家とは、完全主義者==真面目人==ストレスに弱い人==幼少時に愛情が足りなかった人==人に対する態度が常に批判的である人、の事のようです。そういう意味でなら納得です。
僕がどれ程に批評の大家であるかを同記事中の《あなたの批評家度テスト》でもって明らかにしたいと思います。


1、 上のコラムを見て、すでに何かを言いたくてムズムズしている。
2、 誰かが誰かを誉めていると、問題点を指摘したくなる。
3、 誰かに素晴らしい講演会ですと誘われると、ついついあら捜しをして勝ちたくなる。
4、 教育は誉めるより、矯正して正しさを教えるべきだ。
5、 自分の理論は正しい、間違ってはいないと思う。
6、 人の話題は、いつも自分の話題に切り替わる。
7、 本や映画などは矛盾点を指摘したくなる。
8、 あまのじゃくと言われたことがある。
9、 部下から飲み会にはあまり誘われない。
10、 子供の雑談に割って入って、「うるさいなぁ」と煙たがられることが良くある。
11、 部下や目下を誉めることは、人より少ないと思う。
12、 自分は劣等感が強い方だと思う。

1、2、3、7、8、9、11、12については文句なく○です。この時点で既に

8点以上の人は、気がついたら、周囲にイエスマンしかいなく、心から何かの集まりに誘われることはありません。

ですが、自信を持ってNoといえるのは4だけです。5については設問の意味がよくわかりません。理論だと認識している場合なら常に正しいと思っています。仮説、自分の受けた印象、主張している行動が常に正しいとは思いません。6は"自分の話題"というのが自分についての話題なのか、自分が話したい話題の事なのかが分からなかったので保留。でもこれはどっちにしてもNoかもしれません。あまり人と話さないのですが。10は周囲に子供が居ないのでなんともいえないですが、もしその辺の子供に話し掛けたらうるさがられると思います。それどころか通報されるかもしれません。以上の3項目あわせて2点で計算しますと、見事10点で、

10点以上の人は、あなたが来ると皆が理由をつけて足早に去ってゆく。押しも押されもしない孤独な批評家です。

です。わーい。ちょっと下駄を履かせてしまいましたが孤独な批評家ですよ。わーい。
という事で、僕ははっきり言ってこの記事がすごい嫌だったんですよ! でも、全体に間違った事を言っているとは思いません。ので、このような形で鬱憤を晴らしました。
僕以外にも怒りや苛立ちを感じる人は居る様で、毎回攻撃的なリプライがあるそうです。

「この人は何に苛立っているのだろう?」と正直、首を傾げたくなるほどに感情的です。この人は、なぜ、一つの意見、一つのモデルパターンとして「サラッと、とらえることが出来ないのだろう」と残念な気持ちになります。すっーと聞き流せないくらい無意識で何かが許せないのです。

僕が一つ思うには、(心理学的な用語、なのかどうか知りませんが)ある基準でもって分類され、行動の原因、心理までが一つの類型に属している事を指摘されるという事自体が不快である、と思う。それが心理学について書いた本であれば例え思い当たる節があったとしてもそれを即座に自分の問題としては考えませんが、この連載は職場での人間関係をテーマとして扱っており、また人間関係に関するアドヴァイスについては直接に自分を問題として話題にされているわけですから、より強く自分が分類される事を意識させられます。
そんなもん〜〜相談室とか〜〜Q&Aみたいな連載だったら全部そうやんけ、と思うかもしれませんが、他の連載では基本的に遭遇した事態、出来事が問題の焦点なのであって、問題のケースによって対応を変えることはあっても、僕自身の人格が分類されるわけじゃないですので。
これは僕だけの感覚かもしれませんが、分類され名前をつけらるのはそれだけで攻撃です。〜厨などはそれ専用の接尾辞です。逆に、好意的な意図で使用される、直接的な関係を持たずに行動の類似などから命名された集団の名称、はあまりないようにも思います。