サイレントディスコについて

「英野外音楽祭、騒音対策にサイレントディスコ導入[]」 おぉぉ。グラストンベリー・フェスティバルはサイレントディスコでやるそうです。サイレントディスコというのは騒音が出ないように参加者全員がヘッドフォンを装着して楽しむディスコで、検索してみたら写真がありました。Silent Concert SOLO & Silent Discoとか。この写真はなんか未来っぽい。
またiPodのCMについて思い出してしまったのですが(iPod好きの方すいません)、あのCMも周りで見ている人からすると無音で踊り狂っている奇人にしか見えないのと同じく、サイレントディスコも静寂の中で奇声を上げ踊り狂う頭のおかしい集団です。僕は良く電車の中で一人サイレントディスコ(リアルiPod CM)をやっていますが、ジャージを着た夫婦に指差し笑われます。その夫婦は僕が気付いていないとおもってごちゃごちゃ言うのですが僕はまだ再生を開始していないので全て筒抜けです(勿論、僕が笑われているのはiPodをもっていないのにiPod CMのマネをしているからかも知れないし、単に踊るのが下手だからかも知れません)。
しかし、ここまでくるとディスコ、コンサートやレイ、ヴーの本分は一体何処にあるのだろうか、と考え込まざるをえません。完全にイメージ、かつ、それぞれの音楽性?を無視して話しますが、ライヴから演奏者のカリスマと生演奏であるという今ココ性(今、ここでやってるぜ、という素晴らしさ)を差し引いて体を動かす楽しさを付け加えたのがクラブ。逆の方向に進めたのがアイドルのコンサート、という認識でした。しかしながら、良くパフォーマンスを行い人を集めるカリスマDJ、逆にアイドルのコンサートでストイックにオタ芸を打ち続ける人々を見るといかにこの認識が恣意的なものであるかということを考えさせられるし、そのうえサイレントディスコによって音響の良さ、たとえば、低音がまるで風みたいだぜ! このベース音マジやばくね? うん、超マッシヴだね、という利点まで絶対に必要なものでないとすると、家の外で音楽を聴くというのはどういう事なのか、それぞれは本当に別々の楽しみだろうかなぁ、と思ってしまいます(文化、空気が大嫌いなのでそれぞれが基本は同じ楽しみだ、ということに僕はしたいのでこれからその方向へ考えます)。
でっかい音楽が流れていると気持ちいいのは当然として、次に重要なのは人が沢山居ること、出来ればなるべく親近感を持てる人が多く居ることではないか。
(とすると、サイレントディスコでは恐らく周囲に人が居る感覚も希薄になるだろうし、全然ダメじゃないか? 人いきれが感じられないじゃん、と思うかも知れませんが、人が居る感覚はもっと上位にあるので、音が聞こえず姿が見えなくても周囲に人が居る感じはあります。夜部屋に一人でいるときに誰かに見られているような感じがすることだってあるし、MMORPGで大規模な攻城戦をしている人は恐らく実際沢山の仲間と敵に囲まれているはずです。MMORPGを二週間しかやったことがないのにMMORPGについて書きすぎです)