仏契(ぶっちぎり)/絶好調(ぜっこうちょう)

このページの下の方に「free way <> attractor?」と書いてあると思う。これはこのページのスタイルシートを作っている時に上下対称にしようと思ってページ上部のh1タグ、タイトル"佑記"に対応するものとして書いた。書いた時は「英語と記号で構成されてて疑問形で超Coooooooooooool!だし御洒落だなぁ」と思ったのだが、今見ると凄く恥ずかしい。消してしまいたいのだがそうするとなにか替りになる文字を入れないと上下対称がくずれてしまうし、替りにどんな事を書いても変に拘っているみたいで余計にやるせないので、そのままにしておく。
free wayとattractorってのはグレッグ・イーガンの短編、「放浪者の軌道」*1に出てくる単語で、attractorはもともとカオス理論の言葉らしい。attractorでイメージ検索するとこんな画像が出てくる。
小説の方はそんな豆知識が無くても楽しめる本当に短い話なのだが、簡単に設定だけ説明すると、舞台は相当な未来のどこかの都市。この世界ではある瞬間から同じ思想/信条/信教を持つ人が互いに完全な地理的棲み分けを行うようになっていて、それを吸引域*2と呼ぶ。例えば、合理主義者の吸引域、とか、東洋哲学の吸引域とかがある。ここに棲んでいる人たちは基本的に一つの吸引域で同じ思想を持った人達と生活しているんだが、極少数、他の吸引域の隙間に存在する"どこの吸引域にも属さない地域"(free way)で暮らす人が居る。吸引域に近付くと、その吸引域のもつattractorに引っ張られる上に思考まで影響をうけるから、free way上で暮らしつづけるのは相当な困難を伴うのだが、主人公は一度も吸引域に捕われ囚われる事無く暮らしつづけている。
この世界での人間の思想は完全に地理的な条件によって制限されていますが、それは今だって大して変わんなくて、それは地理的な条件によって行われているわけではないけれど、吸引域に入っていれば大して考える事なしに方向を決める事が出来るから凄く楽チン。政党でも宗教でも良いけどさ。何の反動か知らないけれど日本では無信教、支持政党なしの人が圧倒的に多いのは、皆がfree wayで何に偏る事も無しに暮らして行きたいと思ってるからだろう。何かに傾倒してるひとを揶揄する傾向があるし。でも、実はもうそれ自体が何かの吸引域に囚われいて、そこにどんな吸引子が有るのかは良くわから無いんだけれども、すごく良くない事のような気がするのでせめて何かに縛られている事くらいは自覚して行きたいものだと思った。のであんな事を書いてしまったわけだが説明すると余計にあれだな。
その時代時代で最もリベラルであると目される思想や生き方があるんだろうけど、それも後になってみれば、ねぇ。
僕は出来ればもっとずっとずっと未来に生まれたかったですよ。それは無理なので是非にも不老不死を可能にしていただきたい。現在の肉体には拘っておりません。脳が無くても良いです。宜しくお願いします。それも駄目なら32才で冷凍睡眠に入りたい。

*1:短編集「祈りの海」に入ってます。是非買おう

*2:これもカオス用語らしいですな