アイドル道徳について(5) / 手紙を書くことについて(5)

ファンレターへの返信があまりにも羨ましかったので感じの悪い書き方になってしまいました。ファンレターの返信は自分、"個人"宛に送られてくること、がもちろん羨ましいわけですが、ファン集団の一部ではなく、個人として認識されたいという欲求とどう折り合うか、というのは大きな問題です。
Cutie Circuit 2006は単にその場で起こっていること、週末の郊外型ショッピングモールでそれまで誰も見たことのないような大騒ぎが突然わき起こる、だけ見てももちろん凄かった。それが毎週毎週関東近郊を移っていくのは漫画「からくりサーカス」の「真夜中のサーカス」みたいでした。がしかし、ハロプロオタとしてCutie Circuit 2006の凄い点を振り返ると、メンバーによる認知(個体識別)が手に届くところにありそうな感じがする、おそらく初めての機会だった、点が大きい。のではないか、と思う、のですが、いままで僕よりハロプロファン歴が短いファンに一度しか出会っていないのであまり強くは断言できません。
AKB48を見に行ったことはないのですが、AKB48はメンバーによる認知(個体識別)を得るのがかなり容易であるらしいです。Cutie Circuit 2006は頑張って全国全会場へ全参戦し、毎回かなり努力すれば、覚えられるのではないだろうか、というレベルなのでアイドル業界全体から見れば全然大したことはないのかもしれない。この辺は、アイドルファン活動の一環としてハロプロを見ている人と、主にインターネットを切っ掛けにしてハロプロのみを追いかけている人では大きく意識に隔たりがあるらしく、僕は完全に後者の視点です。
現場系の中でも認知を目指すファン層を認知系と呼ぶことにします。認知系が描く理想的なキャリアパスは以下のようになる。

レス >>> (レスの恒常化) >>> 認知 >>> (担任との連絡) >>> ヲタ奴隷

今日のエントリを書くに当たり、g:c-kaiwaiの特に以下の二つのキーワードを参考にしました。

ラジオの公開録音など、演者が比較的自由に行動できる催しの場合は、観客はスケッチブックにその場で「今日も元気だね!」「ウインクして!」「お兄ちゃんって言って!」などのメッセージを書き込み、演者にレスの具体的内容をリクエストすることすら珍しくない。激レスを得続けてその場でスケッチブックを一冊消化したり、レスを得られなくても、自分の日常生活を書き綴ったものを延々と演者に見せ続けるという例も、何度も報告されている。

レスを得られることも充分嬉しいことだが、ある種のファンは、レスを得るだけでは飽き足らず、レスの次は認知を目指し切磋琢磨する。認知は、一時的で儚い性質を持つレスを、恒常化させようとする試みであると言える。

なお、引用文中の"激レス"はあまり一般的な言い方ではなく、通常は"爆レス"です。