アイドル道徳について(3)

K2Da2006-08-10

このタイトルで書き続ける限り、TV番組「アイドル道」の情報を求める人を落胆させ続けることに気付きました。申し訳ない……。かといってキーワード避けに「アイドル道徳」を登録すると炎上しそうなのでそれも出来ません。

アイドル意向の解釈について

アイドルの意向について考えます。おそらく、選好は用語として正しくないので使うのを止めます。「アイドルファンはアイドルの意向に沿って行動すべきだ」というのは定言命法でしょうか。「アイドルファンは」が隠れ条件となっているので、仮言命法なんでしょうが、アイドルファンであることを自分の意志で止められないのなら(ほとんどの場合はそうであるはずですが)、これは常に従うべき道徳律であると言えそうです。
この道徳律は様々な方向へ自由に拡張して利用されています。例えば、アイドルはより多くの人に知られることを望んでいるはずだから、ファンはより多くの人にアイドルが知られるよう努力しなければならない、とか。アイドルはおしゃれな人に応援されるのを望んでいるはずだから、ファンはオシャレになるよう努力しなければならない、とか。マジで!? いや、でもそうかも、僕もカルティエCとか買った方が良いのだろうか、ガザCでも良いのではないだろうか(名前が似ているので)、と心を揺さぶられます。ただ、人間は自由意志を持っているので自ら悪いと感じることを行えます。なのでカルティエCは買いません。
アイドルの正確な意向を知る手段は存在しないので、推測に頼ることになります。日常的に接している人の意向もほとんど見当が付かないのに、アイドルの意向などてんから推測できるわけがないですが、様々な我流の解釈学が存在しています。
解釈学は次のような発想に基づいて発展してきました。アイドルの意向が規則的に歪められているとしたら、その規則を知ることでより正確な意向がつかめるのではないか。歪みの原因としては、自分の立場、役割を意識的、無意識的に演じてしまうことから来る歪み、もっと目に見えやすい、たとえば、事務所(UFA)による指導、などが考えられます。最も単純な指導の例としては、商品名を絶対口にしない、などがあります。僕が過去にきいたことがある、キッズの方が口にした商品名は、菅谷さんがラジオで漏らした「カントリーマァム……」ただ一回のみです。それくらい徹底している。
ちょっと思い出したので直接関係ない話を書きますが、実はCutie Circuit 2006には広く告知されなかった、幻の開催があります。ネットでも、前日に行われたCutie Circuit 2006でも告知されなかったため、そのCutie Circuit 2006に辿り着けたファンはわずかに六人ほどだったそうです。撮影のためにオタを排除する必要があった(失礼な話です)、一般の方に訴求する力を事務所が試してみたかった、などの色々な理由が推測されていますが正確なところはわかりません。どんな現場にでも追っかけている人の中には、この事件についての映像が流れただけで事務所の無神経さに激昂する方なども居ます。
その怒りは、現場から不当に排除されたことに対する怒りで、理解は出来ますが、全く違う理由で怒っているファンも居ました。Cutie Circuit 2006では、次回の開催がどこであるかを最後に告知する習慣があります。その幻の開催の前日も、もちろん以降の予定を告知したのですが、その中に翌日の開催は含まれていなかった。告知をした矢島さんは、"翌日の開催を告知しないという嘘をついた"(嘘をつかされた)のであり、それが許せん、といって彼は怒っていました。また「そういえば、あのとき矢島さんは何か悲しそうな目をしていた」とも言っていました。解釈学も突き詰めればそのような微妙な表情、仕草などから本当の意向を推測しなければならないのでなかなか奥が深いです。