分裂君勘違い劇場さんについて

なので、「おまえは間違っていて、オレは正しいのだ」という気持ちばかりが先走って、素材集としての価値も魅力もないがしろにされているブログを読むたびに、不毛だな、とよく思うわけです。

もちろん、原始的なサルの本能に押し流されるまま、「おまえは間違っていて、オレは正しいのだ」とやること自体は、それほどおおきな問題ではないんです。問題なのは、それに、コンテンツとしての価値が無いことなんですよ。面白くないことなんですよ。役に立たないことなんですよ。オレはおまえが正しいかどうかなんて、興味ないんですよ。つーか、そんなことに興味のある人間が、どれだけいるのか?みんな、一番興味のあるのは、自分の生活と、自分の仕事と、自分の利害だろう?赤の他人の正しさなんかじゃなく、自分の家族の幸せが重要だろう?

僕は「分裂勘違い君劇場が目指したものとその舞台裏」読んでもただただ不快で全然面白いと思わなかった。あと正しいとも思わなかった。全否定したい気分で一杯です(ニーチェの価値の高さに対する信奉だけはすごく面白かった)。でも、これは全く新しいタイプのエンターテイメントであると銘打たれているのだから、新しさについて行けないだけ、という可能性もある。というか現時点では疑いようがない。もちろん、ブックマーカ達は結構賢いので、この新しい面白さに気付いているというわけです。
私にとって気になっているのはこの一点だけかも知れない。分裂君勘違い劇場を楽しめた人は賢い!! 素晴らしい、これは良い。新しいクリエータの生み出す目眩く新しいエンターテイメントに気付いたブックマーク達は面白さのわかる人たちです。認めざるを得ないし、正しさや役に立つかどうかは関係ないのでそれぞれ啓発されあってればいいんですよ! 誰も損をしない! それに対して論客や知識人って退屈じゃん? 退屈なのはつまんない。問題だ(誰にとって?)
あらかじめ矛盾があっても良い、その記事で啓発されればそれで良いだろ? と書かれているので矛盾しているところはいっぱいあると思うけどそれを指摘しても意味がない、恥ずかしい、みたいなことになるだろうから、もうひたすらこれはつまらなかった、刺激されなかった、下らないと思った、古くさいと思った、近未来SFだとは思わなかった、クリエイションされてないと思った、と書くしかないのかなぁ、と思うけど、そんなことは重要ではない。もちろん本当に意見が正しいかどうかなんて意味無いじゃん、僕の幸せにとって重要なことは人を見下すのが大好きッコ達を見て不快な気分になったのを発散させることだ。この人の他人を見下した態度が凄く気に入らないし、大嫌いで、不快だと思ったと言うことだ。それに色々啓発されている人たちも、もちろん、含め。