悩みについて
なにかについて何時間、何日も悩んだ挙句決定した、という記憶が殆どないので驚いた。そもそも、なにかを決定したという記憶がない。なにも決めずに30年以上生活することなどできないはずなので、実感がないだけで何かしら選択しているとは思う。たとえば、大きく環境が変わるような種類の決定、大学入学だとか、就職に関して思い出してみると、これらについては予め優先順位が決まっていて、あとは結果を待つ形だったのであまり悩まなかった。逆に、なにかを辞めることを決めたとき、というのは、決めてやった、という実感が多少残っている。こちらは自由に自分でタイミングを決められるからかもしれない。サークルをやめた時とか、前の会社をやめることを決めたとき、というのは今でも覚えている。自転車に乗って、信号待ちをしていたら、辞めてみるというのも手かなー、と頭に浮かび、あー、それしかないなー、今そう決めたからにはおそらく何ヶ月後には自分は実家に戻っているなー、想像し辛いし不思議だけど、と感じたところまで覚えている。が、これは頭に浮かんだ瞬間そう決めていたという感じで、悩んで決めた感じは全くない。しかし、僕の観察によれば、世の中には何かを決めかねて悩んでいる人が沢山いるはずで、そういう人は、将来の予測を比較、検討してなにかを決めかねているはずで、自分にそういったプロセスが欠けているというのはありえない。ありえないのでどこかで検討しているはずだけど、自分は意識していないので、そこはバックグラウンドのどこかで勝手にやってくれているんだろうと思っていて、その辺と意識のかかわり合いと、あと脳内にインターネットを直に結びつけるインターフェースが実現したら面白いと思うのでそういう小説を書きたいです。