どれくらい離れているように振舞うか問題

「なんか冬に体を動かすのが好きな人達が集まってやるお祭りみたいなのあるじゃん? いろいろな色のメダル? とかもらえる奴」
-> 冬季オリンピック
「メールみたいにいっぱい書けないのは不便なんだけど、気軽につぶやけるのが友達との連絡にもってこいなんだよねー、え、いま参加者急増中だって!? そんなこと全然知らずにサービス開始直後から使ってたよー!」
-> twitter、程度の距離感で振舞いたいものだなー、と国母さん服装問題とtwitterドラマ化問題を見て思いました。
この二つには非常に近しいものを感じており、つまり、どんくらい距離とってるように振舞うかだよなー、ということです。外から見る限りでは、ほぼ同程度の関わりしかもたない人たち(国民、twitter利用者)それぞれが、様々に位置取り可能であり、わざわざ位置取り決めて表明している以上何らかの意図があるんだろうな、と推測される。
もっとも近しい距離感で発言(A)すると、「日本の、我々の代表として出てるんだからちゃんとしろ」「twitterのコアな、本質でもあり私がクラスタリングされているところの変態クラスタをドラマ化しろ」とかなる。ピュアだし自己が中心にあるところがはっきりしていて最悪すぎる……。オリンピックとtwitterドラマに対してどういう意見を持ったところで実生活にはなんの影響もないという点で、位置取りだし振る舞いの問題だ、と思っていますが、さすがにこういうことは言えない。そもそもオリンピックって代表として出てるのかなんなのか、オリンピックに出るような人というのは極めて特殊な技能、性格と能力を備えているのであって、そんな人に我々を代表されても困る。私はあらゆるウィンタースポーツに興味がないので、そこが全く反映されていない。スポーツの得意な人が集まって祭りをしているが、距離的な問題とかあって面倒なので国籍ごとに分離して管理しておる、くらいに解釈することは十分可能なのでそちらの線でいきたい。twitterドラマはもうどう解釈して良いかわからないけど、ドラマは見てる人が楽しければいいんだよ! ということに尽きるなー、万が一twitterがなにかひどくおしゃれだったり、最悪なものだったりという風に描かれていても単なる利用者が気にするようなことでもないと思うし、変態クラスタの人たちはもっと生死に関わるようなギリギリの、それでいて、他人に迷惑がかからない変態行為、に没頭して、かつ、そのことを秘密にしていればいいんじゃないかなー。
というふうに、もっとも近しい距離感での発言(A)に対して反応する形の立ち位置を(B)としたい。つまり、一級の当事者ではないけれど、一級の当事者だと思い込んで発言している人に対して反応するくらいには当事者、という距離です。私は自然に振舞うとこの立ち位置に収まりがちなのですが、本当はもっと離れて振舞いたいです。なぜそう思うのかはわからないし、そもそも振舞う必要がありませんが……。
あと文中の何処かに、好物はカントリーマアムです、という自己紹介が生まれた時からギャグとして利用可能なので国母姓が羨ましいなぁ、というのを入れたかったのに入れられなかったので最後に付け足しておきます。