不幸日記(C)

私が唯一体験している家計は大学へ入学するまで過ごした実家の家計なのですが、今の私から見ると眩しすぎるくらいの家計であり到底再現できる見込みがない。言い換えると私は私の父に比べて低収入すぎる。ひとまずここからスタートするべきであろうと思います。
私が、結婚して三人の子供を私立の中学校から大学まで通わせられような収入を得るという可能性はまずゼロです。これは、もしかしたら、私が属する世代にはある程度共通する背景かも知れませんが、よく知らないしあまり興味もないのでとりあえずは無視します。会社で見る限りでは、同世代や、下の世代でも躊躇なく結婚しそれが唯一の道であると考えている人は多い。逆に、中高生時代を同じような境遇、学校で過ごした友人に目を向けると、全く、一人も結婚していないどころか、妖精に生まれ変わっている人が多い(昨年は転生ラッシュでした)。そうすると、一見して二つの道があるように思われる。

  1. 結婚して、理不尽に難易度の高い生活を送る
  2. 結婚しないで、楽しく過ごす

1.の選択肢が"理不尽に"となるのは、私が実感として比較対象と出来る家計が私の実家しかないから、とお考えください。私としては2.を全うして楽しく過ごせるという自信を持てればいいわけですが、これがなかなかうまくいかない。そもそも、私の基盤となる私の遺伝子を残したご先祖様は全員なんらかの手段で遺伝子を残しているわけで、2.の生き方には全く遺伝的な実績がない。しかし、遺伝よりは環境でしょ! (どっちとも自分の手ではどうにもなりませんが……)と捉えて環境に目を向けると、こちらはだいぶ分が良い気がします。インターネットが張り巡らされる前だったら、独身のまま死んだ文豪などを心の支えにして周りを見下しながら生きるほかなかったのですが、いまは独身(で、しかも友達も全然いないけどなぜか楽しそうな)ブロガー(そんな人はいません)などを参考にして、ああなればいいんだな、と思いながら日々生活できるのでは?
という二項対立的な捉え方がよくないのでは? とふと思ったので、考え直してみますが、結婚する・しない、はどう考えても二つに分けられる、のであって、あと、付け加えておくと、実際に結婚するかどうかは別の話として、とりあえず将来的に結婚すると考えて日々生きるのか、しないと決めて生きるのか、という話をしているのですがそうするとどっちとも決めずに生きる、もしくは、運命の相手と出会ったら考える、などの選択肢が出てくるので確かに二つではないのかもしれません。
しかし、私はこんな話がしたかったのではなく、今から書くような思考実験の話をしたかったのです。つまり、「2.結婚しないで、楽しく過ごす」に「実は子供がいる」という条件を付け足す。そうすると、さすがに1.の選択肢が不利になるので、若干手を加え「1.結婚して通常の難易度の人生を送る。老後は孫に囲まれ西の魔女(男性なら魔人)として惜しまれながら死ぬ」という条件を加えていろいろ考える。そうしているうちに死ぬ(死にません)。