キャラとイナゴについて

被ブクマお気に入り数で人を見下してるなんてあるわけないし、被害妄想だって笑うけど、そうではないことを暴きたい。
それは例えば、あれはキャラだから、なんて言い方の後に透けて見える。同じことを叫びながら、2chの方から跳んでくる人たちをネットイナゴと呼んで見下すことからは逆向きの意識が読み取れる(もちろんイナゴさんは実際にふれあうと無闇に跳ねるなど素敵な昆虫ですが、通常は個々で見ると取るに足らない虫けらが群れになって害をなすものの象徴として使用されている。イナゴさんすいません)。
人気ブックマーカーがキャラを演じているとして一定のなにかを与えられるのなら、イナゴだってイナゴの一体として行動することになにかを与えられるべきだ、つまりイナゴというキャラを演じていると解釈されるべきだ。また、アルファブックマーカーは自分の影響力に配慮しろ、と言う意見に対して"自分の影響力を考えて意見を変えるのは正しい態度ではない"、と言うのであれば、イナゴたちに対しても"集団で行動することの影響力を考えて行動を控えろ"、とは言えないはずだ。
イナゴとアルファ人間に対する態度の違いはそのまま被お気に入り数に対して適用できるので、イナゴとアルファ人間に対する評価を違えている人は被お気に入り数で人に対する評価を変えていると推測できる。
実際の所は、他人がそのアルファ人間なりイナゴなりに与えた評価(として被お気に入り数を扱えるとして)ではなく、自分にとってその人が貴重で、独特で、興味深く、ファニーなことを書いているかどうか、で評価を違えているんだって主張するだろうし、実際そうなのかも知れない。それは被お気に入り数と自分の好みがそれほど食い違わない幸運な人にとっては問題ないかも知れないだろうけど、そうでない人にとっては大嫌いな人間が何故かキャラであるとして許容されていたり、自分としては好意的に捉えざるを得ない言動が大量の人によってなされているというだけで下らない人間が面白がって起こしている騒動として扱われたりしたりして、非常なストレスとなる。こうしてアルファブックマーカーは憎まれていくはずだ。
ところで、あれはキャラだから(突っ込むのは無粋だ)、ではなく、あれはああう言う人だから(仕方ないと思って諦めろ)と考えた方がストレスフリーなので、単著を出せるまではそう考えるようにしたい。