真剣に人生と向き合います!(向き合いません!!)
今、出張で南京へ来ています。人生初出張なのでどう考えてもこれは最低一言くらい日記に書くべきレベルの出来事なのだろうなー、と思い、日記を書こうとしたんですが、書けませんでした。僕個人にとっては特別な体験であっても、読む人にとってもそうであるわけでなく、他にいくらでも出張日記を書いている人はいるから別に書かなくてもよい……。そう思ったからです。昔は日記を書くのが楽しかったので日記を書いていたが、今はもう別に楽しくないので書いていない……。twitterで会話を弾ませることも無く、mixiにはログインすらほとんどしておらず、ネットで楽しいことといったらhattrick.orgしかない。皆さんは連休だったらしいですが、こちらのカレンダーでは連休じゃないし、ラピュタも見れなかったし、L4D2もMW2もできないし、一緒に来た同僚は既婚者、あるいは、来年結婚する人ばかりで毎晩skypeしてるが、私のskypeは一切鳴らない……。鳴らないskype(そもそもインストールしてないので鳴ったら恐怖ですが)。
密接、ハイメンテナンスな対人関係を避けつつ、インターネットとゲームを利用して死ぬまで生きる、という手法がその限界を露呈しつつあるのではないか、ついに綻びが見え始めたのでそろそろ真剣に人生と向き合うべきではないのか? そのような気分になることがあります。つい一時間ほど前にもそのような気分に支配されかけました。
このような気分が恐ろしいのは、その気分に支配されている間、私は、普段持つことのできない長期的な視野を手に入れたとすっかり勘違いしてしまうところです。つまり、普段の私はさまざまなディスプレイ経由の情報を利用し脳の利用時間を占有することで、敢て長期的な視野をもてないようにしている、なぜなら長期的な展望は恐ろしいものだから。そして、そのような情報が途絶えた今は真剣に人生に取り組めている! と。だがしかしですよ、この様な気分は長くても2時間程度しか持続しません。
このような気分を失ったとき、その長期展望はどのように捉えられるか。あのときは、気分が寂シ我リヤ側へ振れ過ぎていたので、将来の寂しさリスクを大きく見積もりすぎており、臆病な予測となってしまったなー、というだけの話です。
しかし、今はまだそこまで普段の気分に戻っていないので、このまま片付けるべきではないな、という考えです。どちらの気分が優位であるかによって捉え方が変わってくるのであれば、どちらの気分でいる時間が長いのか比率で把握するくらいしか合理的な解決策が見当たりません。毎日この問題についてどう考えているかを定時に記録するべきかもしれません。あるいは、気分を制御するためのiPodみたいなものを頭に埋め込めればいいのですが……。この場合はiPhoneでしょうか?