.@してるやつってなんなの? 何を繰り返したいの? あとレジスタ操作……

フォローしてる人を「知人」、フォローしてない人を「知らない人」、twitterのタイムラインを「電車」、に例えると、昔の電車では、知人と知らない人が会話している場合、知人のつぶやきだけが聞こえて、知らない人は何を答えてもまったく車内に響かなかった。想像しやすくすると、電車の中には知人しかいないのだが、知人は頻繁に携帯電話でしゃべりだすため、非常に自由な雰囲気が保たれていた。しかし、それを、「うざい、携帯電話を車内で使わないのはマナー!!」と思う人がいたため、今の電車では携帯で喋ってる場合、どちらの声もまったく聞こえてこないよう調整された(これには、ノイズキャンセラーというノイズを消すような技術が利用された)。つまり、車内に響くのは対象のないつぶやきか、車内の人同士による会話に制限される。しかし、おれはそんなこと気にせずどうしても携帯での会話を仮想の車内に響かせたいぜー、という場合に.@を使う。かっこいい。
しかし、これには別方向の解決方法もあったんではないかなー、と思っていて、会話の一方だけ聞こえてくることが不都合なのなら、知人に話しかけてきた場合のみ、知らない人のつぶやきも車内に響かせればよかったのではないか。ここら辺から電車の喩えは急激に難しくなります。いまや、@は携帯電話でなく、別車両からの訪問者として表現される。現車両にもとからいる人に対して話しかける場合のみ、他の車両から私の車両への移動が許可され、車両へ入ってきた訪問者の発言は、もとから車内にいた人に対するもののみ私にも聞こえる。付け加えると、車内にいる人ひとりひとりに対して、訪問を許可するかどうか個別に設定できるとなおいい。許可されてない人はノイズキャンセラー付きの携帯電話を持たされる。こうして、同一車両内にいる人の間にも格差が生まれる。現在の、知人か、そうでないか、だけのデジタル知人判定法とは異なる、肌理の細かい差別化により、リムーブ、ブロック以外の様々な感情表現が発達しドロドロする。ある意味その車両に住んでいるようなものだけど、しかし仮想の車両なので容易に爆破可能、といった面でかなり現実の車両とは異なるが……。つまり、私が言いたいのはたとえ話は危険、とかいってる人は本当に許せん! たとえ話以上に何かを考えられていると思っているのはおかしい! ということです。