今年の抱負(三人称日記について)

年が明けていたので今年の抱負を考えました。毎年変わり映えがないですが、今年こそ日記の幅を広げたいと思います。具体的には、三人称で日記が書けるようになりたいです。
彼が思うには、三人称日記は面白ダイアリーを目指すうえで明確な利点をいくつか抱えていました。その利点というのは、オモシロと恥ずかしさにかかわることなのですが、順をおって説明したいと思います。とりあえず、オモシロが、「違和」、と、違和の「指摘」から成り立つとして、日記書きにとって最もシンプルなケースを考えると、

  • A.(日記書き)指摘 → (第三者)違和

であり、これは街の面白いもの(看板とか)紹介ブログ、オモシロリファラー紹介ブログなどが該当します。ここで発生する恥ずかしさは、「面白くないものを面白いと思ってしまった」です。

  • B.(日記書き)指摘 → (日記書き)違和

B.は自分の指摘が自身に刺さるということなので、極端にいうと「実は(面白い、つい笑ってしまうような情景)だったりして! 絶対そうだって!! そしたらちょうウケル!!!! でも……そんなこと、あるわけないよね、トホホホホ……orz」と一人途方に暮れるようなケースです。前半が違和で、後半が指摘です。それこそ、そんなブログあるんでしょうか、という感じですが、<ギャグです>omosiroi</ギャグでした>と(特定の読み手が)判別できるようになっていればすべてこれに該当するので、実は幅が広く、ほとんどのオモシロダイアリーはこの<ギャグです>タグの付け方、読み取り手のバリエーションで分類できるのではないか、とまで考えているところです。この場合は<ギャグです>タグを付加した時点で彼がそれを面白いと思っている、面白いと思って書いた、ということが明確であるため、「面白くないことを面白いと思って書いてしまった」という恥ずかしさが発生します。ネット上でも大喜利には絶対参加できないタイプの人間には書き辛い面白ダイアリーです。

  • C.(日記読み)指摘 → (日記書き)違和

これはB.から明確な<ギャグです>タグを取り除いたものになります。一見淡々としていながら、面白ダイアリーである、ということです。もちろん、(この分類は面白ダイアリーを書くためのものなので)書き手視点からは<ギャグです>といえる箇所が存在しますが、読み手からは明確に指摘しづらい、ということです。ここで発生する違和はオモシロ自体のために発生したような見かけをもてないので、継続して面白を発生させるためには、書き手自身が生来持つ特異な感覚、性質や、一貫した思い込み、をベースにしなければなりません。ものすごいたくさんのストーカーから常に監視されている、とかです。C.では、面白くなかったとしても単にそういう人なのだ、と言い張れるのでB.からだいぶ恥ずかしさが減じられるかわりに、コミュニケーションが制限されます。
B.やC.は一人称専用の面白ダイアリーですが、ここからは三人称日記について考えます。通常の三人称オモシロ日記としては

  • D.(登場人物)指摘 → (登場人物)違和
  • E.(地の文)指摘 → (登場人物)違和
  • F.(日記読み)指摘 → (登場人物)違和

などがまず思い浮かぶと思いますが、これらは日記書きが面白いと思って書いているのが明確過ぎて無理なので(F.はケースによりますが)、除外します。
一人称日記でいうC.に該当するのは

  • G.(日記読み)指摘 → (地の文)違和

これです。地の文章がおかしい。書き手の特異な性質、思い込みにより、地の文章に明らかに不必要な一節が加えられている、とかです。ここを目指したいなぁ、というのが今年の目標ですが、それ以前にまず三人称で日記を書くことが不自然すぎるので、日記を三人称で書くための必然性を生み出す仕掛けなり、装置なりを考えるところからはじめる必要があります。