酔ってるんであんま書きたくないんすけど、昨日触れたような不良的な振る舞いについては、「スピッツ問題」として昔からよく考えていて、スピッツについては良く知らないですが、なぜか一人だけ(モヒカン族でもないのに)モヒカンの人がいてパンク過ぎる、あれはどういう意思表示なのだろうか、ということを扱う問題です。戦略として不良ぶってるけど本当空も飛べるはずみたいなメルヘンを考えてますよ、ということなのか、それとも俺はこんなバンドじゃなくてもっとはじけたいぜ、みたいな意思表示なのか、ということを少ない情報なりに考えていて、僕なりに物語を仕立てると、最初は凄いはじけてたんだけど、実はボーカルが良い人でその路線にしたら凄い良い感じだったのでそうしたんだけど、メンバーとしてはもっと毛を逆立てる感じが好きだったので名残としてヘアスタイルにだけそれが残ってるのかなぁ、と思ってるんですけどどうなのか。
飾らない気持ち、について考察すると、僕が触れられる限りで一番飾らない気持ちが綴られてるのはブログなのですが、ブログに感謝の気持ちや応援する気持ちが綴られていることはほとんど無い。個人的には一度も感謝の気持ちや応援する気持ちをブログに綴ったことはなくて、それは恥ずかしいから綴らないのではなく、感謝する気持ちや応援する気持ちを抱いていないので、綴ったことがない、というのが実情です。だから、飾らない気持ちを綴ると感謝になる、ということは絶対にない。そして、見える範囲内のブログでも感謝の気持ちは綴られていない。しかし、飾らない気持ち == 感謝、のような公式は広く成立していると思われる。この食い違いはどこから生まれるのか。
まず一つには、みんなはブログに飾った気持ちを書いている、つまり本当は両親や大切な人に感謝しているんだけど、それを押し殺して感謝の気持ちを綴っていない、という可能性がある。もう一つには、僕が好んでみるようなブログは特殊で歪んだジャンルに属しているので、感謝の気持ちが綴られていない、という可能性がある。その場合、本来のブロゴスフィアは感謝の気持ちに満ちあふれている、ということになります。
実情としてはよく分からないですが、みんな本当にもっと飾らず気取らないブログを書こうよ、感謝の気持ちは照れずに前へ出していこうぜ、という気分です。僕は本当に世界へ感謝しています。