口惜しいから凄い人は見かけないし、悲しいニュースはあらかじめ除外される

インターネットは本当に生活を変えてしまったね、という思いをある種の感慨とともに抱いていて、インターネットへの感謝の気持ちは忘れていません。どこへ行くにも常に感謝の気持ちを携えている。そんな簡単に関心は移らないので、まだ、テレビと、新聞と、社会問題と、インターネットについて考えています。放映中のテレビ番組、今日の新聞記事、とある社会問題、最近話題のホームページ、ではなく、抽象化されたそれらについて考えているということですが、要するにテレビはチャンネルと音量変えるくらいしかできなくて受動的だね、インターネットは自分で検索するし毎日百回リロードして情報を集めるから能動的だね、という話は完全に過去のものとなり、やっぱ情報は勝手に入ってくるのが基本だよね、ですので、よく訓練されたWeb上のサービスは、俺が情報を集めてバラして並べて揃えて晒してやんよ、という感じで機能する。
情報の大海っぽさはなくなった。自然に例えるには不自然すぎる、大海(笑)、なのであり、どう説明したらいいでしょうか。つまり、前から、世間様のテンションについて把握するのは難度が高かったのですが、今や完全にわからなくなった。テレビや新聞に切り取られた世間があって、それらに反応する実際の世間様、という二層構造で把握していたのに、どっちの層もめちゃめちゃになった。インターネットは軽々と距離を超えすぎるし、抽出してる声が偏りすぎだし、どう偏っているのか全然わからないので、補正をかけたという気分にすらなれない。補正をかける、かけない、についてもう考えられないので、インターネット様が勝手に集めてくるものがそのまま世間様だ、ということになりつつありますが、ここで重要なのはインターネットは訓練できるということで、世間様がどうなっているのかある程度調整できるようになった。意識的に調整しすぎると、勝手に逆向きの脳内補正がかかるので、自然な手順で調整できることが重要で、たとえばネガティブブックマークコメントを見た瞬間ほとんど無意識にID単位で世間様から消し去るくらいの気軽さが大事です。
ところで、僕から見て一番遠くに、最高級のエンジョイLIFEを送るという目標があります。残念ながら僕の幸せさはある面で相対的に作られるし、自分個人に紐付かない情報は、対比されるものでしかないから、悲しい情報大目が体感的なエンジョイLIFEには重要であるかもしれない、という事実があります。つまり、すばらしいフィルタリングというのはユーザの共感範囲に合わせて悲しいニュースと楽しい事実をフィルタリングしてくれるようなサービスではないかな、と思います。まだそこまで親切なインターネットは現れていないので、個人的には、情報処理能力が異常に高い人のアウトプットは見ないようにする、あるいは制限する、ということを心がけています。ヤバいくらい凄まじく凄い人がめちゃめちゃ沢山いるという事実は非常に悲しいものがあるのでRSSリーダーには登録しない、そうすればそういう人はあまり話題にならないのでまるで存在しないかのように過ごせる。高速道路はあるけど防音壁が立ってるので見ないようにすれば見えない。フレンドランキングだけ見る。