侮りについて(3)

メモです。

影響を受けすぎ

人間は道具を使わないとすぐ死んでしまうので、道具を使うのが得意な人が生き残りやすく、今生きている人は大体が道具を使ったり何か技術を習得するのが大好き、あるいはそうしないと怠けているような気分になって、落ち込んでしまう人たちばかりのはず(僕は後者です)。
今は死なないように必死になって(笑)習得する必要のある技術はないんだけど、自己鍛錬欲は無駄に旺盛なので、それを解消するために趣味をもち、生活には不必要な技術を身につける。まったく役に立たない技術を身につけるのは悲しいので、なんかちょっとやってて楽しいようなこと、お得になるようなことの技術を磨く。あるいは楽しいことをやっているうちにそれに習熟すること自体が楽しくなる。結果、初心者がやっていることの方が単純に楽しく見えるようになる。
技術習得欲に身を任せて色々な道を究めてしまった人は自分の投資を無意味にしないため、楽しさ自体に飽きてしまってもなにかを追求すること、求道者、趣味人に価値を見つけるよう圧力をかけるので、趣味偉い、みたいな空気になる。

ゲームについて

ゲームは自己鍛錬欲を効率よく満たすようなシステムが沢山付いていて、テトリスはやるとどんどん上手くなる。だけでは鍛錬欲を満たせなくなったので、キャラクターのレベルを上げる、あるステージをクリアすると世界が広がる、イカシたオプションが手にはいる、ことによって出来ることの幅が広がり、なにかを習得したような気分が味わえる。ストイックなアクションゲームやシューティングを好む人がRPGを馬鹿にしている(ように見える事がある)のは、自分の中に蓄積される物ではなくて、キャラクターについた属性で満足するのが安易、というのが原因かと思う。
キャラクターに付いた能力にしろ、自分自身のスキルアップにしろ、ゲームを止めた瞬間に意味のない投資になってしまう。ネットゲームは他人が沢山いて、実際に人間を打ち倒したり出来るので技術を習得した感が強く熱中しやすいけど、その分、止めたときに無駄な時間を使ってしまったという後悔も大きい。でもそれはネットゲームが悪いのではなく、単純に楽しかったと割り切るか、それが出来なければ止めずにいつまでも続ければいい。将棋や囲碁を一生楽しめる人は途中で虚しくなったりしないのだから、いつか可能になるはずだし、それを待ちたい。

他の耐え難い欲と比較してみる

食欲や睡眠欲は耐えていると死んでしまったり大変なことになってしまったりするので、どうしても解消できない性欲に人はどう対処するか、ということについて考えることで、鍛錬欲とどう向き合うかについて考えたい。絶対に成就しない恋、たとえば、天体に恋い焦がれている、水星を抱きたい、どうしてもだ、という風になってしまったら一体どうすればいいのか。
この例は良くないな。たとえばロケット科学者を目指すなどの方法で努力できるから。それよりも、このような例えはどうでしょうか。道を歩いているときに犬を見かけると、確実にその犬のことを大好きになってしまう。なんとかしてその犬を手に入れても、彼/彼女は毎回その時点で犬に対して抱いていた特別な感情を失ってしまい、ただの犬のようにしか見えなくなります。自己鍛錬欲とは大体この様な物です。